![]()

4月2日、朝3時半に携帯のアラームで目を覚ますと、相部屋の方が親切にも、「どうぞ、電気をつけて下さい。」と言って下さった。僕は、遠慮せず電気をつけさせて頂き、ばたばたっと準備をすませ、部屋の方に挨拶をし、宿のロビーで女将さんの支度を待つことにした。女将さんは、台所で弁当を作ってくれていた。ロビーには、夕べは気づかなかったが宮崎駿の色紙がたくさん飾られていた。
弁当が出来上がり、朝食用と昼食用の二つの弁当を受け取り女将さんの車でバスの出る屋久杉自然館へと向かった。最初は、歩いて行くつもりだったが車ですら20分くらいかかる道のりに、「送ってもらえてよかった」っと痛感した。車の中で、宮崎駿の色紙のことを聞くと水明荘は宮崎駿さんがプライベートで来るときの常宿になっていると言うことで、これまでに何度か四日以上の長期滞在をしてらっしゃるということだった。
屋久杉自然館の駐車場にはすでにたくさんの人が集まっていた。宿の女将さんにお礼を言い、荒川登山口までの片道切符を購入しすぐにバスに乗り込んだ。どうやら、僕が一番バスの最後の乗客らしく、僕がバスに乗り込むとすぐにバスは出発した。まだ、暗い夜道を蛇行しながらバスは進んだ。今回の登山の計画は、荒川登山口から入山し、途中宮之浦岳、永田岳、黒見岳に登って尾之間に下山するというもので、途中新高塚避難小屋と淀川避難小屋に二泊するというものだった。ただし、泊まりはいつものようにテントだ。バスに、乗っている人は、その携帯品から、ほとんどが縄文杉までの日帰り登山者のようだった。
ようやく空が白みかけた頃、バスは荒川登山口に到着した。いよいよ出発だ。時間は5時10分前。登山口には、今でも使うことがあるという大きなトロッコが2台並んでいた。そのトロッコの軌道が登山道となっていた。僕は、人混みを避けるため出来るだけ早く出発した。
しばらく歩いているうちに完全に明るくなっていた。トロッコ道は大きな起伏もなく快適だった。歩き始めてすぐのところから、大きな屋久杉の切り株をトロッコ道の脇に見つけることが出来た。まだまだ序の口と言い聞かせつつも、その大きさについつい見入ってしまう。
40分ほど歩いて、昔の小杉谷の集落に出た。橋を渡ったところに小学校跡があり、その校庭で宿の女将さんからもらったお朝食用のお弁当を食べることにした。小学校は今でもある程度管理されているのか、建物こそ無いにしてもそこら辺で子供たちが遊んでいてもおかしくないような雰囲気があった。校庭の奥の方には屋久島シャクナゲを増やすための苗がたくさん植えられてあった。
食事を終え、さらにトロッコ道を進むと白谷雲水峡からの登山道との合流点からすぐのところに、三代杉が現れた。それは、一代目が2,000年で倒れ、二代目が1,000年で伐採され、三代目が芽を出して既に数百年たっているといもので、屋久杉の時間の流れの雄大さを感じた。
さらにトロッコ道を小一時間ほど歩くとトロッコ道の終点になっていて、りっぱなトイレが整備されていた。そこから先は、アップダウンが激しくなっていて、縦走装備を背負っている身には少し応え、何人もの日帰りの方に追い抜かれてしまった。ただ、急な登りといっても、世界遺産に登録された恩恵なのか、大部分に木道が整備されていて非常に歩きやすかった。
トロッコ道の終点から20分ほどで、有名なウイルソン株に到着した。一説では豊臣秀吉の命令で伐採されたとも言われている。もし、切られていなかったら縄文杉よりも大きかったのではないかと言うくらいでかい切り株だ。切り株の中は空洞になっていて、中には神棚があり、水がわき出ていた。中から上を見上げると、切り株の縁から何本もの切り株更新した杉が育っているのがわかった。これを見てしまうと、歩き始めてすぐに見た屋久杉の切り株が随分ちっぽけに感じられてしまう。


さらに歩き続けて、かつて最大の屋久杉だと言われていた大王杉、空中で一方の枝が他の杉の幹に癒着した夫婦杉をへて、ウイルソン株から1時間半ほどで縄文杉に着いた。当たり前だが、縄文杉は大きかった。樹高や幹周もそうだが、一見、杉とは思えないその形相に圧倒的な存在感を感じた。樹齢は、2,000年とも、7,200とも言われているらしい。どちらにしても、長い年月の間、風雪に耐えこのでこぼこした形相が出来上がったのだろう。時間のスケールの雄大さに感じ入るばかりである。また、縄文杉は長年の間観光客によりその周囲が踏み固められてしまったと言うことで、今はその保護のため木デッキの上からしか見学することが出来なくなっていた。


本日のメインイベントである縄文杉を後にして、すぐに高塚避難小屋があった。そこで、二つ目のお弁当を食べることにした。ここまで来ると、縦走する人しかいないので人の数はぐっと少なくなる。さfらに一時間ほど急な登坂を登ると、新高塚避難小屋に到着した。丁度小屋に着いたときに、屋久ザルの群れが小屋の周りをうろついていた。人慣れしているのか、人が来ても平気のようだ。時刻は、1時半。時間的にも、体力的にも余力はあったが、地図を見てもこの先に手頃な幕営地が見つからなかったので予定どおりここに泊まることにした。小屋には、まだあまり人はいなかったがゴールデンウイークということで混み合うのが目に見えていたのでテントを張ることにした。小屋のそばに、すのこ状の広い木デッキがあり、ここなら雨が降っても水につかることはないし、平らで快適だと考えここにテントを張ることにした。
テントの中で寝そべりながら、「みんな山が好きだった」の続きを読んでいるうちにうたた寝してしまった。夕方、目が覚めたときにはテントの周りが大変なことになっていた。僕がテントを張ったときはデッキには僕しかいなかったので、「こんなところにテントを張ってもいいのかなぁ。」などと考えていたのに、気がつくと外はものすごく騒がしく、テントから出てみると唖然としてしまった。僕のテントの目の前に誰かのテントが張ってあり、なんだこれはと周りを見渡すとデッキ一面テントで埋まっていた。水場への通り道もテントでふさがっているほどだ。おまけに、お祭りのような騒がしさだ。おそらく、小屋周辺に数百人の宿泊者がいるだろうと思う。騒がしいのは仕方ないにしても、一番の問題は小屋周辺にトイレが一つしかないことだ。明日の朝は、壮絶なトイレ戦争が生じることが目に見えている。出遅れたら負けだ。聞き耳を立てていると、ほとんどのパーティーは4時起床、6時出発と言っていた。僕は、3時半起床を目指して早寝することにした。