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デナリ遠征への出発の日だ。デナリ国立公園の申請名は、「Itunan-tai Mckinly Expedition 2005」。2004は申請だけで終わっており、2年越しの計画となる。初日は、私の住む北海道の美深から登山基地のタルキートナまでの大移動だ。日程短縮のためアンカレッジには宿泊しない。
昨日は、早寝しようと頑張ったが、興奮のせいかほとんど眠る事が出来なかった。出発は、4時の予定だったので、3時半にはベッドから出た。先ずは、メールをチェックし長旅に備え常時接続のPCの電源を落とした。この次はいつ浴びる事が出来るんだろうと考えながら、熱々のシャワーを浴び目を覚ました。
いよいよ出発だ。先ずは、車で千歳空港まで行き、羽田に飛び、リムジンバスで成田に移動、そこからシアトルに飛び、飛行機を乗り換えて、アンカレッジまで飛んだ後、予約してあるデナリオーバーランドのVANでタルキートナに移動という、とてつもなく長い行程だ。
成田で荷物の検査を受けるときに最初のトラブルが起こった。燃料ボトルが問題になったのだ。当然、空にはしていたのだが係員に臭いをチェックされ、一本が没収となった。その次に荷物を預けようとしたとき、チェックイン出来る荷物は二つまでで、三つ目には超過料金がかかりますよと言われた。僕の荷物は、90リットルの大ザックに、ソリに取り付けるためのエキスペディションバックとスキーだった。買い出し時間を短縮するためほぼ3週間分の食料が入っているので、どの荷物も満杯でこれを二つにまとめる事はどう考えても不可能だ。仕方ないと思って了解したが、その金額を聞いて思わず「どひゃ〜。」と叫んでしまった。なんと、追加荷物一つにつき1万6千2百円もかかるというのだ。とは言え、僕にはどうする事も出来ない。その分飛行機の中で思いっきりお酒を飲んでやると思いながら、しぶしぶその料金を支払った。
おかげで、シアトルでの入国審査にはほろ酔い状態で挑む事になった。お決まりの質問の「旅の目的は?」に対して、「デナリに登に行くんだ。」と応えると、これまでどんな山に登ったのと聞いてくるので、ほろ酔い状態の僕はついついしゃべらなくてもいい自分の夢
のことまでしゃべってしまった。
すると、審査官の女性は、頑張ってねと笑顔で握手してくれた。
シアトルからアンカレッジまでは、アラスカ航空の飛行機だ。尾翼にエスキモーの顔の絵が描かれているのが印象的だった。席は、幸い窓席だ。ずっと海上を飛んでいたが、アンカレッジに近づいてからは陸地が見え始めた。飛行機の上から氷河が幾筋も見える。中には海上や、湖水に落ちている氷河もハッキリ見える。ついにアラスカまでやって来たと言う事を実感出来た。
アンカレッジの空港で荷物を受け取った後、少し待ってからデナリオーバーランドのドライバーと合流出来た。車は、VANと言ってもかなりでかい。ドライバーは、スーパーVANと言っていた。今日、タルキートナに向かうのは僕を含めて二人。もう一人は、既に車に乗り込んでいた。マサチューセッツからハンターに登りに来たという好青年だ。僕は、アンカレッジを出る前に換金とガスカートリッジを買いたいと頼んだ。簡単な事だと思ったのだが、換金するのが結構大変らしい。最初、空港の国際線の所に行ってみたが換金所がなかった。銀行に行ってみても、土曜日の5時過ぎだったので閉まっていた。その後、ドライバーの心当たりのあるところを回ってくれたが、結局換金する事は出来なかった。手元にある現金は、50ドル足らずでかなり不安だったが、後はカードに頼るしかない。諦めて、ガスカートリッジだけを購入し、タルキートナに向かった。
タルキートナへは4時間ほどで到着した。既に、9時過ぎだというのに昼間のように明るい。僕にとっては、はじめての白夜経験だ。もう一人の同乗者をおろした後、タルキートナエアタクシー(TAT)の事務所に行ってもらった。事務所の女性に、予約している事を伝えると、予約帳をチェックしてくれた。日本から電話で予約したのでちゃんと伝わっているか不安だったが、僕の名前はしっかり書かれていたようだ。その、女性の指示で、今日はデナリオーバーランドの車でTATのバンクハウスに行き、明日8時にTATのスタッフが迎えに来て、レインジャー事務所に連れて行っ
てくれると言う事になった。
TATのバンクハウスとは、TATを使って入山する人がその前日と戻ってきた日に無料で泊まれる施設だ。建物の前にテントが張ってあり、登山道具はそこに置き、建物の中には最低限の荷物だけを持ち込む事になってるらしい。僕が、シュラフと着替えだけを持って中にはいると、何人分かの荷物があったが、そこにいたのは一人だけだ。アラスカ内から来た登山者で、H.Cに一週間いたが天候が悪く登頂出来なかった、と言っていた。
バンクハウスでは自炊も出来るが、僕は荷物を置き近くのレストランに食事に行く事にした。現金が無いので、確実にカードが使える事がわかる
VISAのマークの付いた店を見つけて、ピザとビールを頼んだ。ビールを飲みながら、時差があるにしても、同じ日付の内に北海道の美深からアラスカのタルキートナまでこれるだなぁ、という思いにふけってる内にピザが運ばれてきた。やはりでかい。お腹は空いていたが、3分の1を食べるのがやっとだった。
バンクハウスに戻ると、住人が4〜5人増えていた。僕は、かなり眠くなっていたので、挨拶もろくにせずに二階に上がり眠りについた。

朝7時頃、目を覚まし顔を洗って荷物の整理をしていると、約束通り8時にTATのスタッフがやって来た。車に荷物を積み込み、レインジャーオフィスに向かった。そこで、僕を降ろし、レインジャーのレクチャーが終わったら事務所に電話するようにと言い残し、そのスタッフは立ち去った。建物にはいると、正面に受け付けカウンターがあり、やたらと明るい女性が迎えてくれた。僕が一言も発する前に、「デナリのパーミッションですね。」と問いかけ、「イエス」と応えると名前をチェックし、満面の笑みで少し待つようにと指示をした。すると、奥から別の男性のレインジャーが現れて僕を個室へと案内してくれた。
レクチャーの内容は、日程の確認、装備、食料、デポジットの方法、トイレの処理に、ルートの概略の説明だ。装備については、燃料ボトルの数とオーバーブーツの事を聞かれた。オーバーブーツについては、単独登山者用の申請書のオーバーブーツの欄にNOと書いて出したところ、メールで持ってくる事を薦められたので、その確認だ。その申請書には、45m−9mmザイルやアイスバーを持っていくと書いたのだがそれらについては何も聞かれなかった。と言うか、ルートの説明の時に、トラバースの時にアイスバーを使っているパーティーの写真が出てきたときに、「アイスバーはこうやって使う事があるけど、君は一人だから関係ないね。」と言っていた。僕としては、「植村直己物語」のイメージがあり、単独者用の申請書に不備があると許可が貰えないんじゃないかと思い、とにかく項目にのっている安全に関するものは用意していくと書いてしまったのだ。実際のところ、単独で45m−9mザイルやアイスバーを使う事はまず無いだろうから、パーミッションさえ貰えれば、L.Pに置いていくつもりだった。もしかすると、最初から持っていかないと書いていても許可は貰えたかも知れない。たとえ、そのことが問題になったとしても、レインジャーから用意するようにアドバイスされるだけだろう。僕としては、それらを用意してここまで待ってくるだけでも、予算と労力の面で大きな出費だったのだが。
その他には、デポジットの方法を説明してくれ、竹竿に付けるシールを5枚くれた。そこには、隊名と僕の名前と許可番号が印刷されていた。トイレについては、L.PとM.Cにはトイレがあるのでそこですること、その他の場所では与えられた生物によって分解される半透明の袋にし、指定されたクレパスに投げ入れること、ただし、H.Cについてはクレバスが無いので、トイレ管(筒状のプラスチックの箱)を貸し出すのでそこにして、ここまで持ち帰ること、と言っていた。僕は、帰りにクレバスに投げ入れればいいのに、どうして持ち帰らなければならないんだろうと疑問に思ったが、細かい事を聞き出す語学力もないので、素直に聞いていた。その後、コースの概要をパソコンのモニター(日本語版)で説明してくれ、最後に「下山したら必ずここに報告しに立ち寄ること。」、と言ってパーミッションをくれた。その間、約30分くらいだった。
レクチャー終了後、デナリオーバーランドのドライバーからここで詳しい地図を購入出来ると聞いていたので、尋ねてみた。すると、日本の国土地理院のようなところが発行している地形図がおいてあった。ウェストバットレスからの登頂に必要な地図は、地図名MT.MCKINLEY(A-3)とTALKEETNA(D−3)だったが、残念ながら MT.MCKINLEY(A-3)しか在庫が無かった。ただ、ルートの大部分はこの一枚でカバーしていたので、取りあえず購入していく事にした
。
レインジャーとの話が終わりTATに電話をしなければと思っていると、受付の女性が小指と親指を立て電話のように耳に当てながら、「私が電話してあげたから、TATはすぐに来るわよ。」と笑顔で言ってくれた。それを聞き、安心してロビーの椅子に腰掛けていると、昨日アンカレッジからタルキートナまで同乗した好青年がやってきた。レインジャー事務所に張り出されている気象情報を見に来たらしい。向こうも僕の事に気づき、僕の背後に飾られているデナリの写真を指さし、「これに登るんですね。」といった。そして、その対面に飾られているハンターの写真を指さし、「僕はこれに登ります。」と言って、僕に向かって親指を立ててニコッと笑った。僕も、親指を立てて「グッド ラック」と返した。
好青年が帰ってからも、TATはなかなか現れない。かれこれ30分くらいは待っただろうか。疑う気持ちは無いのだが、ちらほらと受け付けの明るい女性の方を見てしまう。何度か、目が合い僕の訴えに耐えられなくなったのか、彼女はもう一度電話してくれたようだ。すると、「遅いからもう一度電話してあげたわよ、すぐに来るって。」、と笑顔で話してくれた。
間もなくして、TATの別のスタッフが現れた。今度は、若い女性だ。僕の荷物は車に積まされたままだ。TATには、5分もかからないで着いた。その女性は、TATに着くなり僕になにやら話しかけてさっと事務所に入ってしまった。なんと言ったのかは、僕には聞き取れなかった。周りを見渡すと、これから出発しようと準備している人や帰ってきて荷物をまとめている人、その人達をサポートしているTATのスタッフであふれていた。僕は、どうしていいのかさっぱりわからず、出発の準備をする場所らしい大きな秤の置いてある所に自分の荷物を置いて事務所に入ってみた。事務所には昨日会った女性がいて、先ずは受け付けするようにと僕を先ほど車で迎えに来てくれた若い女性の所に連れて行ってくれた。すると、「あら、まだ受付していなかったの。」と、何か勘違いしていたようすだ。話している内に、日本から予約を入れた時に電話で対応してくれた子のような気がしてきた。落ち着きの無い子だが、僕の下手な英語を根気よく聞いてくれた。レインジャーオフィスでもらったパーミッションの番号、帰りの日付、テントの色、必要な燃料、BC無線がいるかどうか等を聞かれ、最後にスケジュール表を見て、「あなたのフライトは2時だから、1時半までに事務所に戻ってきて下さい。」と言われた。すぐに出発出来るものだと思っていたので、がっかりしたが仕方がない。
時間がタップリ出来たので、一度歩いて町に戻ってみる事にした。歩いてと言っても5分ほどだ。マップコピーと書いてある店を見つけて入ってみると、例の地形図がおいてあり、TALKEETNA(D−3)の地図も手に入れる事が出来た。その後、小さな商店で水を3リットル買った。ここでも、カードを使う事が出来き、現金無しでもなんとかやっていける自信がついた。その後、町はずれのレストランに入って昼食をとった。かなり高級な感じで、店員の対応も丁寧だ。僕は、ビールとキングサーモンのサンドイッチをたのんだ。すごく美味しかったので、もし登頂出来たらここでワインでお祝いしようと心に決め、TATに戻った。
TATに戻ってみると、カウンターの向こうで日本人の青年が電話していた。今回の旅で出会ったはじめての日本人だ。電話が終わりカウンターから出てきたところで声をかけてみた。彼はH君といい、丁度今L.Pから戻ってきたところで、無事登頂を果たし、山頂からスキーで滑って降りたと言っていた。しかも、彼の夢は7サミットをスキーで滑降する事で、今回はその夢の第一歩だそうだ。
彼と話している所に、例のTATの若い女性スタッフが走ってきた。「あなた、こんな所で何をしてるの。もう飛行機が出るわよ。」というようなことを言って僕をセスナの所に引っ張っていった。セスナは、操縦士の他に4人乗れる。他の3人はすでに集まっていて、丁度荷物を積み込むところだった。僕の荷物も積み込み、4人でけん制仕合ながらセスナに乗り込んだ。けん制仕合ながらと言うのは、前は操縦士を含めた二人、後ろは3人という席で、みんな窓際に座りたがるからだ。僕は、最後に残った男性を先に乗るように促し、なんとか後ろの窓際に座る事が出来た。
フライトは30〜40分ほどだった。最初は、タルキートナ周辺の緑があふれた夏に景観が広がっていた。緑の中には、大きな川やたくさんの池が点在していて、夏らしい景観だった。しばらくすると、それがまだ夏の来ていない茶色の世界にかわり、さらに進んで雪のとける事のない世界にと変わっていった。最後は、一本の大きな氷河に沿って登っていき、前方にデナリへと向かう一本のト
レース跡を確認すると、セスナは右に旋回し小さな支流に入っていった。それが、カルヒトナ氷河のサ
ウスイーストフォークで、ランディングポイントのある支流だ。
ランディングポイントに着陸すると、まずエアタクシーのスタッフから燃料とワンズ用の竹竿をもらい、常駐のレインジャーからデポジット出来る場所と、キャンプサイトの範囲、トイレの場所の説明を受けた。日本で立てた計画では、初日はここで一泊することにしていたが、天気もよく白夜で時間の心配もないということから、僕は歩き始めたくて仕方なくなってしまった。それで、僕はテントを立てずに出発の準備をする事にした。
先ず、ここに置いていく荷物をまとめ雪に埋めた。残していくのは、ザイルや、スノーバーと3日分の食料、燃料を缶に入った状態で貰えたので、必要の無くなった燃料ボトル等だ。次に、積み重ねてあるソリから良さそうな物を一つ選んで自分のバックを装着した。ソリには最初から牽引用のロープが取り付けられていて、僕の選んだ物にはロープが絡まないように、直径2cm、長さ2mくらいの塩ビのパイプが2本の牽引ロープに取り付けられていて、荷物の固定用に帯ひもも取り付けられていた。
そのソリに荷物を装着し、日本でレンタルしてきた衛星携帯で試しに日本の友達に電話してからいよいよ出発だ。時間は4時半くらいだった。出だしはかなり快調だった。カルヒトナ氷河の本流に出るまでの数百メートルは下りだから当然だ。。時折、勾配が急なところでソリが勝手に滑り出し、自分を追い抜いていく事があったが、これならいくらでも歩けそうな気がした。
30分ほどで本流に出て、これから歩こうとする上流方向を眺めると、大きく割れたクレバスを避けて大きく迂回した踏み後がなだらかな氷河上に続いていた。その先に急勾配があり、その踏み後は急勾配の所を直登していた。地図で確認すると、C1はその急勾配の手前のようだ。登山者は、10人ほどのパーティーがずっと先を歩いているのと、二人組のパーティーが二つほどこちらに向かって下ってきているのが見えた。
本流に出てからは、歩くスピードが一気に落ちた。下りが、緩やかとは言え登りに変わったわけで、あたりまえと言えばあたりまえだが、想像していた以上にソリが重く感じた。ずっと前を歩いているパーティーに追いつくつもりで歩いていたが、逆に差は開いてしまい、途中からは見えなくなってしまった。歩いているうちに、太陽が山に隠れ、やや薄暗くなってきた。日中の日差しがある時間帯はかなり暑く、Tシャツ一枚で十分なほどだったが、日差しが無くなると急に寒くなる。僕は、寒くなってからしばらくの間気づかづに、登山シャツの袖をまくり上げたまま歩いていた。休憩で立ち止まったときに、
はじめて寒さに気づき慌ててシャツの袖をおろし、防寒具を身につけた。そのころになると、考える事はどうしたら楽に歩けるだろうかと言う事ばかりだ。最初、ソリはハーネスに装着していたが、途中からザックのウェストベルトに取り付けてみた。これで、重心が高くなりかなり楽になった。後、C1でさらにデポしていける物はないかと考えた。念のために持ってきたアイス
バイル、BCラジオ(衛星携帯があるので無くても大丈夫と考えた)や荷物をソリに装着するために持ってきた細引き等を置いていく事にした。
そんな事を考えながらなんとかC1についたのは、10時をまわっていた。僕は、手頃なテントサイトを見つけすぐにテントを組み立て、水を作り始めた。こんな時間帯に歩いているのは僕ぐらいのものだろうと思っていたが、白夜の世界では日本の時間の常識は通用しないようで、僕の後からやって来るパーティーもあった。二人組のパーティーで、彼らはさらに先に進んでいった。
僕は、水を2リットル作り終えてからテントに入りα米の山菜おこわと卵スープを食べてシュラフに潜り込んだ。シュラフは今回の遠征のために新調した厳冬期用のもので快適だった。

朝7時半頃に目が覚めた。気温はまだ寒く、シュラフから出るのはまだ辛い。テントから顔を出してみると、丁度僕のテントの所だけが日陰になっていた。空は快晴だ。すぐそこに見える急斜面に二人組が取り付いているのが見えた。夕べ見た二人組だろうか。僕は、もう少し待てば、ここにも日が差し暖かくなるだろうと考えて、取りあえずコーヒーを作り、昨日の日記を書き始めた。1時間ほどのんびりしていると、僕のテントにも日が差し始め、急に暖かくなった。本格的に、行動開始だ。餅入りインスタントラーメンを作って朝食にし、外に出て水を作りながらテントを撤収した。先の急斜面にはまだ例の二人組が見えた。かなり悪戦苦闘しているようだ。これを登り切るまでに、少なくとも1時間以上はかかるという事か。
少しのんびりし過ぎて出発は10時半になってしまった。例の二人組はもう見えない。出発してすぐに急斜面に取り付いた。ソリが重くてなかなか進まない。すぐに汗だくになってしまった。途中で休
憩するときは、危うく、ソリが斜面を滑って落ちていきそうになってしまった。
斜面を3分の2くらい登ったところで、上からソリを引きながらスノーボードで滑り降りてくる二人組に出会った。かなり悪縁苦闘しているようだ。何度も転んでは、荷物を調整していた。帰りは、ソリを引きながらスキーで滑って降りるつもりでいたが、この調子では無理でないかと思いはじめた。
2時間弱でその斜面を登った後は、なだかな登りが続いていた。時折、短い斜面をいくつか登りながら坦々とすすんだ。たまに、下山者と出くわしたがそれほど多くはない。
坦々と歩き続けているうちに、C2にも到着していないと言うのに、ヘロヘロになってしまった。ようやく、C2が見え始めたころに二人の白人がテントの設営をしていた。おそらく、今朝起きたときに斜面を登っているのを見た二人組だろう。彼らの前を通ったとき、彼らは僕に「水が無いのか」と尋ねた。彼らは、水を作ったばかりらしくテントの前に満水のボトルが並べられていた。きっと、僕はその水を物欲しそうな目で見ていたのだろう。
僕のザックには500mlほどの水が残っていた。これからの行程を考えると十分な量ではないが、なんとかなるだろうと思い、「水は十分にあると。」見栄を張って通り過ぎてしまった。
C2を過ぎると氷河は右方向に直角に曲がっていた。勾配は緩やかだ。しばらく歩いて、少し勾配がきつくなりかけた頃にガスが出始めた。気にせず歩いていると、そのガスはだんだんと濃くなってきた。50mおきくらいに目印の竹竿がさされていて、最初はよく見えていていたがだんだんとそれさえも見えづらくなってきた。
視界の効かない急勾配を重いソリを引きながら、へろへろになりながら歩いていると、上からスノーボードにのった人がやって来た。僕の前で止まり、「ハロー」と言った。ものすごく、日本人っぽい「ハロー」だった。僕は、日本人だと確信し、日本語で「日本の方ですか?」と尋ねてみると、思った通り日本語で、「こんなところで、日本人と会えるなんて。」と、返ってきた。すぐ後から、今度はスキーを履いた青年がやって来た。彼らは二人組で、山頂からスノボーとスキーでおりてきたらし。昨日、タルキートナの飛行場で会った青年の話をすると、彼とも知り合いだと言っていた。僕は、メディカルキャンプやハイキャンプの様子を聞いた後、C3まで後どのくらいあるのかを尋ねた。「あと、300mくらいですよ。」という返事に一瞬ホッとしたが、よく話を聞くと、その300mは標高差だった。
僕は、ガックリしながらも残り300mをヘロヘロにながら歩いた。何度か、10人程度のグループとすれ違ったあと、霧のなから要約C3が現れた。
霧が濃くてどれくらいの広さがあるのかさっぱり解らなかったが、とにかく登山道に近い手頃な空きテントサイトを見つけてそこに落ち着くことにした。
時刻は、夜の9時。行動時間は10時間半。標高は3,350m。今のところ、高度障害は出ていない。僕は、すぐにテントを立て、水を作り、食事を作った。外は、昼間のように、人の気配でざわざわしていた。僕のテントの前が広場になっていて、これから下山しようしているパーティーが次から次えと集まってきて、ザイルを結んでいる。準備が出来た者達から、下山をはじめている。時間は、夜の10時を過ぎていてると言うのに何処まで行くんだろう思いながら眠りについた。

朝起きてテントから顔を出すと快晴だった。予定どおり、メディカルキャンプまで高度順応を兼ねて荷揚げを行う事にした。ここでは、時間を気にする必要が無いので、8時頃、気温が上がりはじめるのを待って行動を開始した。先ずは、テントの中でコーヒーを作り、餅入りのラーメンを朝食にした。食事を済ませ、テントから出て水を作りながら荷上げする荷物の整理をした。夕べはガスで解らなかったが、C3は以外に広かった。一本の広い通り道が真ん中に走っていて、その左右にテントサイトが並んだ縦長の形をしていた。僕のテントサイトの隣には、スペイン語を話す陽気なおじさんがテント張っていて、挨拶を交わした。
荷揚げする荷物は12日分の食料と燃料、それに登攀道具などだ。行動食と水を加えるとかなりの重量になった。ここから先はスキーを脱ぎ、アイゼンとピッケルで歩く事になる。今日はソリを使わず、ザックだけ
で歩く事にした。
10:30頃、C3を出発した。今日も、いきなりの急登だ。上を見上げると、先に出た隣の陽気なスペイン語おじさんのグループが悪戦苦闘していた。斜面を1枚登って、方向をかえてもう一枚。しばらく緩やかなところを歩いて、もう一枚登ったところがウインディーコーナーだ。そのコーナーを曲がりきるとメディカルキャンプはもうすぐだ。雪は斜面にしっかり付いていて歩きやすい。ただ、急登と重荷が体には堪える。
C3〜M.C間を歩いている人はほとんどの人がソリを引いている。やはり、ソリを引
いた方が楽なのだろうか。僕は、斜面を一枚登るたびに休憩を入れ、スペイン語おじさん達と抜きつ抜かれつしながらなんとかウエンディーコーナーをまわりこんだ。振り返ると、ハンターが間近に見える。ウエンディーコーナーを過ぎると、M.Cはもうすぐだが、もう一登りある。荷揚げの人はここで荷物をデポする人が多いようだ。例の隣のおじさんもここに荷物を置く事にしたようだ。僕は、かなり迷ったが、そこで大休憩を取った後、M.Cまで行ってみる事にした。
歩き始めてからすぐに後悔した。すぐそこだと思っていたM.Cがなかなか近づかない。それほど急では無い登りも高所と、疲れ体で堪えてしまう。時間的にも、帰りが心配になってきた。M.Cの直前に大きなクレバスが左右に口を開いていて、部分的につながっているようなところを通らなければならなかった。そこでは、何処の国の隊の人かわからなかったが、ボラ
ンティアで単独登山者にザイルを投げてくれフィックスを取ってくれていた。僕は、慌ててハーネスを付けてザイルを結んでもらった。その人にお礼を言って別れると、M.Cはすぐそこだ。すぐそこだと言っても、高所のせいで10歩、歩いてはゼーゼー言ってしまう状態でなかなかたどり着かない。
M.Cについた時には、5時をまわっていた。僕は、M.Cを突っ切って一番奥のウエストバットレスに近いところに空きサイトを見つけて荷物をデポした。ウエストバットレスを見上げてみると。今日登ってきた3枚の斜面をそのまままっすぐつなげて、その上にさらに急な斜面を1枚つなげたような感じだった。おそらく、あの一番上の斜面がフィックスロープのある斜面だろう。本当に、こんなところを登れるんだろうかと言うのが正直な印象だ。ウエストバットレス上には、この時間でも多くの人が行き来していた。ゆっくり休んでいきたかったが、もうすぐ寒くなる時間帯になるので、荷物をデポした後すぐに来た道を引き返す事にした。
荷物をが軽くなりかなり楽になったが、高所のせいでなかなか足取りが進まない。来るときははっきり見えていたハンターの山頂が雲に隠れて見なくなっていた。なんとなく明日の天気が心配になる。
どうにかこうにかC3の自分のテントにたどり着いたのは9時半だ。僕は、すぐに水を作って夕食をとり、シュラフに潜り込んだ。

朝7時半に目が覚めた。テントにサラサラと雪が当たる音がしている。テントから顔を出すと、風はほとんど無いがしんしんと雪が降っていた。20cm〜30cmくらいテントが雪に埋まっていた。昨日、M.Cから戻るときに見た雲のかぶったハンターの事を思い出した。
他の登山隊の人たちも動く気がないのか、テントの外で空を見上げたり、一生懸命テント周りの除雪をしていた。僕は、テント周りにたまった雪をサイトの外にかきだして、テントの戻りシュラフに潜り込んだ。ここの標高は3,350mだが、少し体を動かしただけで息が切れてしまう。水をたくさん飲まなければと思うのだが、寒い事もありなかなか水がすすまない。頭痛はまだ無いが、今後が不安だ。
とにかく雪が止むのを待つ事にして、テントに籠もる事にした。結局、一日中雪は降り続た。今日の活動は、3回テント周りの除雪をしたのと。3度の食事をしただけに終わってしまった。それにしても、隣のスペイン語のおじさんは元気で、一日中テントの外にいていろんな人と大声で喋っていた。ちょっと、イライラしてしまった。

昨夜のうちに雪はやみ、テントから外を覗くと視界も良好だった。今日は、H.Cに移動出来ると楽しみにしていたが、目が覚めてテントから顔を出すとガスが出ていた。ただ、これくらいなら大丈夫じゃないかと思い、食事を済ませて外に出てみると、ガスはさらに濃くなっていた。他の登山隊の人たちも動く気は無いようだ。みんな空を見上げている。僕も少し様子を見る事にした。
ガスは時折薄くなり、視界が開ける事ももあったがすぐにまた濃くなってしまうと言う状態が一日中続いた。日中視界が開けたときに、他の登山隊の人たちがソリ遊びやスキーを楽しんでいた。みんな退屈してるんだろう。夕方になって、いくつかのパーティーが上から降りてきた。登頂出来ずに下山してきたようだ。下からは、日本人の二人組が上がってきた。彼らは、クライマーでマッキンリーではなくハンターかフォーレイカーに登る予定だそうだ。今年は、氷が発達していなくて難しいと言っていたが、取りあえずM.Cまであがって高度順応するそうだ。
結局、その日は空を見上げて、丸一日を過ごしてしまった。明日は、あがれるだろうか。

朝起きると快晴とまでは言えないが視界には問題がない天候だった。テントから顔を出してみると、たくさんの登山隊が出発の準備をしていた。斜面の方を見るとすでに長蛇の列になっていた。僕は、急いで朝食を済ませ出発の準備に取りかかった。ソリを引くかどうか随分迷ったが、ほとんどの人がソリを引いているし、下山の時の事も考えて、僕もソリを引いて登る事にした。ただし、スキーは置いていく事にした。
少し寝坊した事もあり、ほとんど最後尾からのスタートになってしまった。C3にいた人たちは、二日間の停滞の後だった事もあり、中には荷揚げの人もいるかも知れないが、一斉にM.Cを目指していた。しかも、降雪の後だから皆、ラッセルを嫌い、きれいに一列なっている。僕はその最後尾につきのんびりと行く事にした。時間は、10時過ぎになっていた。
その列はなかなか動かず、1枚目の坂を上るのに1時間以上かかってしまった。列にはまって動くのはなれていない事もあり余計に疲れてしまう。結局、2枚目の坂を上りきるまで列は続き、そこからはみんなまちまちに休憩を取るようになり、列はばらけはじめた。僕は、坂を上りきるたびに大休憩を入れながらゆっくりとしたペースで登った。ウインディーコーナーをすぎたところで、後ろから昨日あった日本人クライマーの二人組がやって来た。彼らは、一時過ぎにC3を出てきたそうだ。3時間の差を詰められた事のなる。前半ほとんど列にはまっていた事や、荷物が多い事を考えてもたいしたものだ。彼らは、低地の平地を歩いているように通り過ぎていった。
僕は、その後もヘロヘロになりながら歩き続けた。ルートは3日前のクレバスを通過するルートから、クレバスを大きく迂回するルートに変わっていた。今朝
C3を出てきた人の大部分は荷揚げだったのだろうか、そこから先はソリを引いた後が少なく、ほとんど新雪の上をソリを引いて歩くような状態で、ソリがものすごく重かった。
どうにかこうにか、M.Cについたのは18時30分頃だ。すぐに、デポした荷物を掘り出し、テントを設営した。例の二人組のクライマーは、すぐ近くにテントを張っていて、すでにお茶を飲んでくつろいでいた。
僕は、テントを設営した後すぐに水を作り夕食作りに取りかかった。夕食は、ご馳走のモチ入りラーメンにライスだ。天気はそれほど悪くは無かったのだが、夕食を作っているうちにやや風が強くなり、また雪が降り始めた。

朝早く起きてテントから顔を出すと、雪は止んでいたが夕べのうちにかなり降ったようで20cmほど積もっていた。僕は、今日は体調に応じて高度順応に出かけるだけの予定だったので、再びシュラフに潜り込んだ。
11:00ごろにようやく起き出して水作りと食事をを済ませた。テントから出るとガスが出ており、取りあえずテント周りの除雪をし、強風に備えてテント周りの、雪のブロックで出来た壁をかさ上げした。簡単な作業だが高所にまだからだがなれていないのか、すぐに息があがってしまう。
作業をしているうちに、ガスが消え始めた。それを見て、僕は非常食と水、フィックスロープで使うアッセンダーだけを持ち、行けるところまで行ってみる事にした。一応、アッセンダーは持っていくが、基本的にはフィックスロープの手前で引き返すつもりだった。
ウエストバットレスへのヘッドウォールを登りはじめると、かなり前方に男女の二人組が歩いているのに気づいた。女性の方が、ものすごく小柄なので、もしかすると日本人かも知れないと思った。僕は、空身だった事もあり、中腹あたりで彼らに追いついた。話し声で、日本人だと解ったので、「こんいちは。」と挨拶した。ご夫婦で来られているHさんだ。ご主人は2回目で今回は山頂からのスキー滑降をするという事だった。レインジャーテントで天気予報が張り出してある事や、ハンターの山頂に雲がかかると天気が崩れるなどの情報を聞く事が出来た。その後、一緒にフィックスロープの下まで歩いた。
我々がフィックスロープの下に到着したときに、丁度上から5,6人のパーティーが下ってきた。よく見ると日本人だ。長野から来られているらしい。天候不良で登頂を諦め、下山してきたという事だ。
予定ではここで引き返すつもりだったが、体調がいいのでどうしようかと考えていると、下から例の二人組のクライマー達がやって来た。偶然といえ、この狭い空間に4つの日本人パーティー、人数で言えば10人程度が集まった事になる。デナリの山中とは思えない光景だ。彼らは、軽く挨拶してほとんど休憩も取らずにフィックスロープの方に歩いていった。それを見て、僕も彼らに刺激されフィックスロープに取り付く事にした。
アッセンダーを使うのはその時がはじめてだ。ちゃんと使えるだろうかという不安を感じながらの挑戦だ。まず、固定ロープのところまで行き、アッセンダーをロープに取り付けた。その後で、カラビナとスリングを使ってアッセンダーとハーネスを結ぶ。その状態で、片手でアッセンダー、もう一方の手でピッケルを持って急斜面を歩いた。固定ロープは2,30mおきにアンカーで固定されておりそのたびにアッセンダーを一度取り外して、付け替えなくてはならない。最初はかなり緊張したが、作業自体はそれほど難しいものではなくすぐになれた。ただ、急斜面なので体力はかなり使う。ふと上を見ると、例の二人組クライマーは固定ロープを使わずにピッケルだけでこの斜面をすいすい登
っていた。周りの西洋人達もそれを見て驚いていたほどだ。僕はひたすら固定ロープに頼って登りつづけた。
どうにかこうにか、固定ロープを登り切り稜線に出る事が出来た。かなり体力を消耗したような気がする。下を見るとM.Cが小さく見ていた。標高で、4,900mくらいだが、今のところ頭痛はない。僕はそこで休憩を取り、少しだけ稜線を歩いてみる事にした。歩き始めるとすぐに、例の二人組のクライマーが下ってきた。彼らの高度計では、5,000mくらいだ。僕は、そこで引き返す事にした。
下りの固定ロープは、カラビナを固定ロープに通してハーネスと結んで下った。もし、落ちても2,30mおきにあるアンカーのところで止まる事になる。一応、エイトカンも持ってきていたが、ほとんどの人は使っていなかった。
下りはほとんど苦労することなくM.Cにたどり着いた。日本の友達に衛視携帯で電話してみたが、どうも調子が悪くつながってもすぐに切れてしまう。諦めて、食事を取りシュラフにはいる事にした。風が少し強くなってきたのが気になる。もし、明日天気と体調がよければハイキャンプにテントアップしよかなどと考えながら眠りにつく。
朝起きてテントから顔を出すと、天気はそれほど悪くない。夕べ寝る前に考えたとおり、テントを移動させるつもりで準備をしながら朝食を取った。
食事を終え、テントから出てみると天気がイマイチだ。やや、風が強くガスが出ている。フォーレイカーにも雲がかかっている。どうしようかと思いながらM.C内をぶらついていると上から昨日会ったHさんが降りてきた。H.Cに行くのを諦めて早々に降りてきたそうだ。その時に、レインジャーテント前にの前に天気予報が書かれている事を聞き、見に行ってみた。それによると、明後日のに高気圧が近づき、風がおさまると書かれていた。
それを見た僕は、テントを移動させるのは明日にし、体調がよければ明後日に山頂アタックすると言うふうに計画を見直した。それで、、今日は適当に荷物を持って荷揚げだけする事にした。H.Cまで行ければいいが、それほど気合いを入れずに適当なところで荷物をデポして戻ってくるつもりだ。取りあえず、ヘッドウォールの上まであげておけば、明日はかなり楽になるだろう。
僕はテントに戻って荷揚げの準備をした。4日分の食料と燃料、それにトイレ缶、荷物を埋めるためのスコップにデポ旗を持って行く事にした。この程度なら、それほど重くは感じない。ゆっくりとだが、坦々とヘッドウォール
を登ることができた。フィックスロープ
のところは、風で雪が飛んだのか所々青氷になっていた。少し気になったが、行ってみるとそれほど苦労はしなかった。
ヘッドウォールを登り切ったところで、数人の日本人に出会った。高度順応のために空身でここまで来て、引き返すと言っていた。僕は、そこで行動食を取りながら少し休憩することにした。周りを見渡すと、たくさんのデポ旗が立っている。ここで、荷物をデポしていく人も多いようだ。僕は、まだ少し余裕があるし、高度順応も進めたかったのでもう少し登ってみる事にした。
少し先に進むと小さなフィックスロープが設置されているところに出た。混み合っていたので、少し待ってから登ってみると遠くにH.Cが見えた。遠くと言っても高低差はなくほぼ同じ高さに見える。僕は、ここまで来たのだからと、あそこまで行く事を決心した。気持ちいい稜線歩きだ。ただ、息が切れるのがつらい。空気はかなり薄いのだ。
H.Cが見えてから1時間位歩いただろうか。ハイキャンプの手前で、稜線から高い岩の北側を回り込むとH.Cがすぐそこに見えた。すぐそこに見えるのだが、高所のせいでなかなか足が進まない。さらに、30分ほどかけてようやくH.Cにたどり着いた。
H.Cはかなり混雑していた。おそらく、ここしばらく天候が悪かったので登頂出来ずに人がたまっているのだろう。空いているテントサイトを探してみたが、見つけられなかったので、H.Cのはずれに荷物をデポすることにした。ゆっくり休憩していきたかったが、そろそろ寒くなる時間が近づいているので、すぐに下山する事にした。
帰り道はほとんど一人旅だった。天候も安定していて見晴ら
しもいい。M.Cはガスで見えなかったが、稜線上は快晴で空はとても青かった。気持ちのいいの稜線歩きだった。途中で人と会ったのは、小さなフィックスロープの所で,下から来る人とすれ違っただけだ。まるで、稜線を独り占めしたような最高の気分で歩く事が出来た。
ヘッドウォール上部まで来ると、気温はかなり下がっていた。時刻は8時をまわっていた。ヘッドウォールを降りきったところで、下から一人の男性が上がってきた。僕は、「こんな時間に何処まで行くんですか。」と聞いてみたが、「英語がわからない。」というので、「気をつけて。」と一言いってわかれた。
午後9時頃にようやくテントに着いた。僕は、すぐに水つくりをし食事を済ませ、明日に備えてシュラフに入った。明日は、いよいよハイキャンプにテントを上げる予定だ。デナリの山頂が近づいて来た事に心が躍る。
朝6時頃目を覚まし外を見るが、ガスがかかっている。取りあえず暖かくなるまでもう一度寝る事にした。8時頃ふたたび眼を覚ましそテントから顔を出すと、今度は雪が降り始めている。今日、H.Cに移動するつもりだったが、取りあえず様子を見る事にしてまたシュラフにもぐり込んだ。
10時頃、再び眼覚ましたときは雪は止んでいたが天気はイマイチだった。取りあえず食事を摂り、レインジャーキャンプの天気予報を見に行った。昨日見たときは、14日に高気圧が近づくとなっていたのが、14日の夜に変わっていた。悩んだあげく、ハイキャンプに移動するのは明日にして、山頂アタックを明後日とすることにした。
予定変更を決定した後は、出来るだけ体を休めておこうと考えテントに戻りシュラフに入った。時折、テントの外に顔を出して天候を確認するが、不安定で晴れ間が出てはすぐにガスが出ると言う繰り返しだ。
体は疲れていたが、なかなか眠れなので、晴れ間をみてM.C内の散策に出てみた。広場では、ガイドツアーの人たちがフィックスロープでの動きの練習をしていた。誰かが、アンカーのところに来ると「アンカー」と声をかけて、カラビナを取り替え終わるとまた合図して、動き始めるという行動の繰り返しだ。多いときには、10人以上連なって行動するので、これにつかまるとかなり時間をロスしてしまう。
トイレの横では、レインジャー達が深い縦穴を掘っていた。人の背丈くらいの穴で、中に人が入り掘った雪を周りの人がロープを結んだバケツで引き上げていた。新しい、トイレになるそうだ。今は、M.Cには二つのトイレがあるが、いっぱいになるのは時間の問題らしい。今年は、特に人が入っているようだ。レインジャーの人数まではわからなかったが、かなりの人がここに常駐しているようだ。自分が、この山で登山出来るのも彼らのおかげであると、感謝の気持ちがこみ上げてきた。
M.Cにはたくさんのテントがあったが、中には雪でつぶれかけているものも
あった。この一週間くらい天候の状態が良くなく、登頂出来て無いらしい。おそらく、ハイキャンプで天候の回復を待って居る人のもだろう。ここに来るまでにも、ハイキャンプまで行きながら、天候のために登頂を諦めて下山してきた人に何人もあった。明日から、天気が回復するという事は、僕はとっても幸運なのかも知れない。
少し風が強くなってきたので、テントに戻り風よけの雪の壁を修復したあと、テントの前で水を作った。この水作りの作業は、慣れたとは言えかなり面倒だ。テントの中でやってもいいのだが、ガソリンコンロでは何があるかわからないので、どんなに大変でも外でやる事に決めていた。
水を作り終えた後、気がつくとガスが無くなり青空が見えていた。フォーレイカーを見ると雲が被っていない。高気圧が近づいている証拠だと確信し、明日に備えてテントに入った。
早朝、ものすごく冷え込んだ。8時に一度眼を覚ましたが、あまりの寒さにシュラフから」出る事が出来なかった。9時頃になってようやく活動を開始した。外の天気を見る事もなくコンロに火をつけ、食事の用意をしながら荷作りをはじめた。食事を済ませ、外に出てテントをたたもうとしたが、バリバリに凍りついていた。取りあえず、ひっくり返して凍りついたテントの底を太陽にかざした。その間に、デポして行くものを雪に埋めたり、トイレを済ませた。
11時頃、テントをたたみH.Cに向け出発した。高所にもかなり慣れて来ていると思っていたが、急登になるとまだ体が重い。前方に、一昨日ウエストバットレを登り切ったところで出会った日本人隊が歩いているのが見えた。少しずつ近づき、固定ロープの休憩所でようやく追いついた。彼らもまだ高所に順応仕切っていないようだ。僕は彼らの後について固定ロープを登る事にした。僕にとっては、いいペースだったが、僕らの後に長蛇の列が出来てしまった。
ウエストバットレスを登り切ってから前にいた日本人隊はデポしてあるものを掘り始めた。僕は、ここで一休みしたかったが後から来ている人たちを先に行かせると、この先の何カ所かで大渋滞につかまってしまうと考え、休まずに先に行く事にした。幸い、渋滞につかまる事もなくショートフィックスロープを超える事が出来、ゆっくりのペースではあるが坦々と稜線上を歩く事が出来た。
6時頃に、ようやくH.Cにたどり着く事が出来た。一昨日は、テントサイトは全く空いていない状態だった
が、今日はいくつかは空いていた。たぶん、今日何組かのパーティーが登頂し下山したんだろう。僕は、H.Cの中心の広場に面した一等地の空きテントサイト見つけ、そこに荷物を置いた。すぐに、デポしておいた荷物を掘り出し、テントを立て始めた。
テントを立ていると、夫婦で登りに来ているHさんがやって来た。Hさんは昨日H.Cに入って、明日登頂を目指すそうだが、奥さんに頭痛が出ていると言う事だった。Hさんは、スキーを持って登頂し、山頂から滑降するそうだ。明日が楽しみだ。
Hさんが帰った後、水を作っていると、少し頭が痛くなり始めた。これはやばいと思い、水を多めに作って、早めに食事を済ませ、ダイナモックスを一錠のんでシュラフに入った。そのころには、頭痛がかなりひどくなっていた。
なかなか眠れないまま、何度か眼を覚ましてはピーボトルにおしっこをし水をがぶ飲みした。それを何度か繰り返しているうちに、頭痛も少し和らぎ知らない間に眠る事が出来たようだ。

いよいよ、アタックの日だ。頭痛はかなり治まっていた。天気は快晴だ。風もほとんどない。寒かったが、8時過ぎに行動を開始し、食事を済ませた。その後、水を作るために外に出ると、既に多くの隊がデナリパスに向かって歩いていた。Hさん夫妻が歩いているのも見えた。自分も早く出発したかったが、夕べ高所順応のためにたくさんの水を飲んでしまったので、水作りに時間がかかってしまった。水を作ってる間にもたくさんの隊が僕の横を通って出発していき、デナリパスまで長蛇の列が出来ていた。
そうこうしている間に、また頭が痛くなり始めた。僕は、これまで使ったことの無かった頭痛薬を飲むことにした。基本的には、使わない事にしていたが、少し焦っていたのかも知れない。その後、1リットルの水と0.75リットルの熱いコーヒーを作り終わり、9時過ぎにようやく出発することが出来た。その頃には、既に今日アタックするほとんどの隊が出発しており、デナリパスまでの一本道の最後尾に着くことになった。
デナリパスまでは、斜面のトラバースで踏み跡が一本道のため列の跡をついていくしか方法はない。また、午前中はデナリパスまでの斜面は日陰になっているためかなり寒かった。早く、デナリパスを超えて日に当たりたか
ったが、行列は少し進んでは止まり、また少し進んでは止まりの連続で、一向に進まない。歩いているうちに、少しずつ影が上にあがってきて、手を伸ばせば拳の先だけ日に当たるようになったので、バンザイしてあるいた。それほど、日の光が恋しかったのだ。
二時間近く、渋滞の苦しみに耐えようやくデナリパスに到着した。ほとんどのパーティーがそこで休憩を取っていたが、僕は写真を2,3枚撮ってそのまま先に行くことにした。そこから先は、しばらく急登が続くが一本道ではないので渋滞はなかった。デナリパスをを過ぎ、日に当たるようになったが、思ったほどには暖かくならなかった。しばらく歩くと、先に出発していたHさん夫妻が下ってきた。奥さんが体調を崩し、一旦下山して日を改めてアタックし直すそうだ。僕は、「行けるところまで行ってみます。」と言って、別れ山頂に向かって歩き続けた。
急登が終ると、進路はなだらかになりやがてフットボールフィールドと呼ばれる、広大な雪原にでた。その向こうに、頂上に続く稜線が見え、稜線までの急登にまた長い列が出来ていた。
僕は、そのフットボールフィールドを突っ切り、稜線への急登に取りかかったとき、ここまで一度も休憩を取っていなかったことに気づき、少し休憩をとることにした。温かいコーヒーを飲み、行動食のスニッカーズを一本食べた。少し疲労感はあったが、薬が効いているのか頭痛はない。行動食を取り終わって、しばらく動けないでいると通りかかる登山者が「大丈夫か?」と声をかけてくれる。やはり、一人でいると何かあったのかと思われるのかも知れない。休んでいる間にも急登の列は長くなってきていたので、先ずは列に入り歩きながら休むことにした。
稜線に出る直前に、20m位の急斜面のトラバースがあった。そこでは、登りと下りがすれ違うことも出来ない。それが渋滞の原因になっていたのだろう。僕は、前の人と少し離れてそこを歩いていた。すると困ったことに、僕がいるのに5,6人のパーティーが上から降りはじめてきてしまった。仕方ないので、僕は斜面にピッケルを打ち込み、斜面にぶら下がるかっこうでやり過ごすことにした。すると、その5,6人のパーティーのあとから、次から次へと人が降りてきてしまった。みんな、サンキューと一声かけていくが、どうして僕が後わずか10mほど歩くのを待てないのか僕には理解出来なかった。頭に来たが、どうすることも出来ずに20分以上斜面にぶら下がる事になってしまった。人が途絶えたすきををみてようやく稜線に出た時には先には誰もいなかった。当然、後から来る人たちとの間にも距離が出来てしまった。
僕は、稜線に出て一休みしてからまた歩き始めた。頂上は近いはずだ。ついさっき、僕のすぐ前を歩いていた人達も下山してきた。全然進んでいない僕のことを心配してか、「頂上はすぐそこだと。」励ましてくれた。彼らは、僕が長い間斜面にぶら下がっていたことを知らないのだろう。
稜線に出てから、わずか5分ほどで稜線の一番高いところにたどり着いた。この先に、ここより高いところはない。そう、ここが頂上だ。これまで、見上げてき
たフォーレイカーやハンターが下の方に見える。斜面に、長い間ぶら下がっていたおかげで、今頂上にいるのは僕一人だ。僕は、雪がこんもりと盛り上がった、一番高いところに立って「バンザイ」と両手をあげて叫んだ。
20年くらい前に、植村直己さんがこの山で遭難したと言うニュースが流れたとき、僕はこの山のことをほとんど知らなかった。当然ながら、自分がこの山に登るなんて想像も出来なかった。いや、登りたいと思う自分すら想像出来なかった。それが、今僕はこの山の山頂に一人で立っている。人生って、面白いなとつくづく思った。
一人で、満足感にふけりながら山頂からの写真を撮っている内に、次から次へと各国の登山隊がやって来た。C3でテントが隣だったスペイン語のおじさんもやってきた。みんな、それぞれの歓喜の声を上げて喜びあい、登頂の写真を取り合っている。僕も、ピッケルを思ってバンザイをしている写真を撮って貰った。中には、服を脱いでブラを出して喜びを表現している女性もいた。静かだった山頂は、一気に登頂ラッシュになってしまった。
山頂で行動食のビスケットを食べ、熱々のコーヒーを飲み、いろんな国からやって来た人たちが登頂して喜んでいる姿を見ている内に一時間近く時が過ぎた。快晴だった天候も北の方から、ガスが登りはじめあやしくなってきた。僕は、少し長くいすぎたかなと考え、下山を開始することにした。
下山を開始
しても、しばらくの間は登って来る人が絶えなかった。混雑した狭い道を譲り合いながら、フットボールフィールドまで下りてきたところでふらふらになりながら登ってきた日本人青年にであった。前に、ウエストバットレスの上で出会った日本人隊の一人だ。「もう少しですよ。」と声をかけたが、聞こえなかったようだ。高度障害がきついのだろう、自分のアコンカグアでのことを思い出しながら、頑張って下さいねと心の中でつぶやいた。もう少し、下ったところでは彼の仲間の日本人が二人、座り込んでいた。彼らにも、頑張って下さいと一声かけて下山を急いだ。
フットボールフィールドを過ぎた頃には、人気もまばらになり前後に人がほとんど見えなくなった。また、天候もかなりあやしくなってきた。ガスが出始めたかと思うと、一挙に濃くなっていった。まだ僕の後ろにはたくさんの人がいるはずなのにと、人の心配をしている内に、風も強くなり、地吹雪で視界がほとんど無くなってしまった。ルート上には、竹棒に赤いテープを巻き付けた標識が所々にさされているが、一つ前の標識が見えないほどだ。人の心配をしている場合で無くなってしまった。足下の踏み跡だけを便りに、デナリパスへの下りを降りていった。
時々、踏み跡が解らなくなり左右に動いて踏み跡を確認しながらゆっくりと下った。風は、さらに強くなり前はほとんど見えなくなってしまった。それでも、ゆっくりと下っていく内に踏み跡が広く広がっているところに出た。デナリパスだ。ほとんどの人がここで休憩していくので、踏み跡が広がっているのだ。ここで、折り返して大きな斜面をトラバースしながらハイキャンプに下っていくことになるのだが、前方が全く見えない。踏み跡が細くついているはずなのだが、吹雪で消されたのかどこを歩いていいのか全く解らない。行く先をじっと見ていると、標識の赤旗のようなものがかすかに見えた。とにかくあそこを目指して歩くしかないと思い、踏み跡のない斜面をピッケルで確保しながらトラバースしはじめた。登るとlきに、この数百メートル下に大きなクレバスが口を開けていたのを覚えているが、そんなことを考えている余裕はなかった。
20分くらい歩いただろうか、標識の旗は未だに近づかない。それどころか、歩き始める前に一瞬見えただけでそれ以来地吹雪で一瞬も見ることが出来ていない。不安になりながらも歩き続けていると、突然後ろの方から人の声が聞こえてきた。振り返ると、デナリパスのあたりに5,6人の人が見える。そう、ちょうどその時風が弱まり視界が開け始めていたのだ。彼らは、僕に向かって大声で、「もっと上だ、上を見ろ〜。」と叫んでいた。英語だったが、簡単な言葉だったのですぐに解った。僕は、その言葉に反応して上を見上げた。すると、30mくらい上方に今まで見えなかった標識の竹竿が点々とさしてあるのが解った。僕は、助かった〜と思い、一本のピッケルで確実に体を確保しながら30mをよじ登った。僕が、そのトラバースの踏み跡にたどり着いたとき、ちょうど彼らもやって来た。僕は、斜面にしがみついて、彼らの足下から「ありがとう」というと、ザイルを結んでいくかいと親切に声をかけてくれた。僕は、何かにこだわっているわけではないが、人のペースで歩くのが辛いし、ここまで来れば大丈夫だろうと思い、好意を断って、彼らの後ろを一人で歩くことにした。
その頃には、風は完全におさまり視界はクリアになっていた。ハイキャンプもよく見える。時折、前を行くパーティーのザイルの固定アンカーへの取り外しで詰ることもあったが、ここまで来ればイライラすることもなく、たんたんとある歩き続け、1時間ほどでハイキャンプにたどり着くことが出来た。 テントについたのは、午後10:00くらいだ、朝出たのが9時くらいだから13時間行動と言ったところか。さすがに疲れた。水は、朝作った1リットルがそのままザックに残っていた。僕は、すぐにテントには入りたかっがこれから食事を作るには水が足りないと思い、水を作ってからテントにはいることにした。こんなに寒いのだから、テントの中で水を作ったっていいじゃないかとも思ったが最後まで、テントの外での水作りにこだわってしまった。
外で、水を作っている次々と人が下山してきた。僕のテントは、ハイキャンプの入り口のすぐ脇だったので、みんな僕のテントの前を通っていく。みんな疲れているようだ。途中吹雪いていたせいか、ハイキャンプに詰めているレインジャーも時折テントから出てきて、デナリパスの方を心配そうに見ていた。マイナス20度くらいにはなっているだろうか、水を2リットルほど作るのに1時間以上かかってしまった。でも、これだけあれば明日の朝までは持つだろうと考え、テントに入った。まだ戻ってきていない人たちもたくさんいるようだが、既に風も完全におさまり穏やかな天気になっているので大丈夫だろうと思った。
テントにはいると、真っ先にガスのストーブに火を付けた。テントの中はあっという間に、暖かくなった。冷え切った体には、ストーブの火が最高のご馳走に感じる。しばらく、日を見つめて動けなかった。体が温まってから、モチ入りインスタントラーメンとカップスープを作って食べた。登頂した日に食べようと思っていたゼリーは作る気力が沸かず手を付けなかった。食べ終わってからもしばらく、ストーブの火を見つめぼーっとしていた。寒さと、登頂の喜びで興奮して眠れなかった。一時間ほど、登頂の余韻を楽しんでから、火を止めシュラフに入った。

朝、8時頃目が覚めた。今日も快晴だ。昨日よりも、天気がいいようだ。テントから出るとHさんがやってきた。昨日のことを一通り話すと、登頂を祝福してくれた。僕は、朝からまた水を作って食事を済ませ、名残惜しみながらハイキャンプ内をブラブラと歩き回った。昨日、山頂付近で出会った日本人達も無事下山出来たようだ。登頂出来たのはふらふらして歩いていた人だけで、やはりほとんど記憶がないようだ。今日は、休養して明日再アッタクするそうだ。
僕はテントに戻って、のんびりと撤収作業をした。出発前にHさんのところに挨拶に行くと、余った燃料と食料をHさんが引き取ってくれた。Hさんも、明日再アタックするそうだ。Hさんに、天候はまだ続くのでもう一度登ってみてはと薦められたが、さすがに一度登ってしまうとモチベーションが続かない。それに、ハイキャンプの寒さも辛かった。僕らは、最後にお互いの記念写真をとり、僕はハイキャンプを出発した。時間は、12時半を過ぎていた。
最初の計画では、ハイキャンプから2泊してランディングポイントまで戻るつもりだったが、登頂してしまうと早く街に帰りたいと言う気持ちがどんどん大きくなってくる。僕は、出来るならC1くらいまで下ってしまいたいな〜と思いながら歩き始めた。
ウエストバットレスの稜線歩きは相変わらず気持がいい。僕は、時間を気にせずのんびりと眺めを楽しみながら歩いた。メディカルキャンプに到着すると、すぐにデポしておいた荷物を掘り出した。燃料が、1ガロン缶まるまる1缶分が残っていた。大きな反省点だ。僕は、荷物を整理して、メディカルキャンプを出発した。ここからは、ソリを引いての下山となる。そのソリがくせ者だった。
歩き始めて、10分もしない間に歩くのが嫌になってしまった。ソリがあっちに行ったり、こっちに行ったり。下りでは、ソリは全く言うことを聞いてくれない。肉体的な疲労感は5割り増し、精神的な、疲労感は10割り増しと言った感じだ。これは、大変なことになるぞと思い、他の下山者を観察すると、何人かでパーティーを組んでいる人たちは前後の人と人の間のソリをロープで結んでコントロールしていた。一人でソリを引いている人は、僕と同じように悪戦苦闘している人もいたが、中にはすいすいとまっすぐ引いている人たちもいた。何か、コツがあるようだが僕には解らなかった。荷物のバランスが悪いのかと思い、何度も荷造りし直したがダメだった。結局、C3までソリに振り回されながら歩くことになった。
C3の手前の斜面を、ソリに振り回されながら歩いていると、親切なおじさんがソリにぐるっとロープを巻くとそれが抵抗になりソリが安定すると教えてくれた。それは、いいアイデアかも知れないと思ったがC3は目と鼻の先だったので、とにかくC3について荷物を整理し直してから考えることにして、C3に向かった。C3についた頃には、既に寒くなる時間帯になっていた。
C3では、まっすぐ荷物をデポしたところに行き、荷物を掘り起こした。荷物を整理していると、あまりの多さにうんざりした。出発前に準備しているときは、かなり絞ったつもりだったが、一度も使わなかったものがたくさんある。荷物を整理していると、一人の白人の青年が僕のところにやって来て、フライパンの上の大きなピザを僕にさしだし、「よかったら食べない?」と言ってきた。僕はお腹が空き始めていたので、大喜びで頂いた。一切れで、お腹が一杯になるほど大きなピザだった。
荷物の整理が終わり、僕はスキーで一気に下るつもりだったが、ソリは歩く時以上に言うことを聞いてくれない。とてもじゃないが、滑って下るなんて無理だ。何度も試してみたが、結局諦めることになった。スキーをソリに乗せて歩くことにした。一時間以上、無駄な時間を使ってしまった。
歩き始めて、しばらくすると遂に水がなくなってしまった。僕は、C2の手前で、休憩を兼ねて水を作ることにした。ここでは、ハイキャンプと比べると気温も気圧も違うのであっという間に水を作ることが出来た。出来上がった水を飲んでいると、上から二人の登山者がスキーでソリを引いてやって来た。多少は苦労しているようだがなんとか滑れているようだ。どうしたら、そんな風に滑れるのだと聞くと、ソリの荷物を出来るだけ軽くするのだそうだ。確かに、彼らのソリにはシュラフやマットなどの軽いものしかのっていないようだ。それに引き替え僕は、重いものをソリに乗せて引いていた。ただ、基本的に一人あたりの荷物の量が圧倒的に僕の方が多いようなので、重いものをすべてザックに入れることを想像すると、やはり無理であることがわかった。とにかく、荷物の減量化が最大のポイントのようだ。
休憩を終え再び歩き始めると、C2についた。来るときもそうだったが、ここでテントを張っている人は、ほとんどいないようだ。閑散としたC2を過ぎたときに、目の前に見えるマウント・ハンターが朝日で真っ赤に染まりはじめた。時間は、午前一時過ぎだったと思う。カルヒトナ氷河上の見える範囲には僕しか居ない。こんな状況の中で見る朝焼けは、本当に神々しかった。わずか10分ほどの時間だったが、僕は歩くことを忘れ見とれてしまった。
感動の朝焼けが終わり、余韻を噛みしめながらまた歩き始めた。相変わらず、ソリがあっちに行ったりこっちに行ったり、時にはひっくり返ったりと悪戦苦闘は続いていた。そうこうしている内に、後からやって来たいくつものガイドツアー集団に追い抜かれてしまった。デナリのガイドツアーはランディングポイントからC3の間は夜中に歩くらしい。登るときにC3に入ったとき、夜中に出発していくガイドツアー隊を見て不思議に思ったが、ここではそう言う物らしい。きっと、この標高だと日中は気温が上がり歩きづらかったり、雪がゆるんでクレバスに落ちる確率が高くなるなどの理由なのかなと思う。
ようやくC1についたとき、僕を抜いていったガイドツアー隊が3隊ほど休憩を取っていた。その大集団の前を、へたくそなソリさばきで歩くのは恥ずかしかったが、僕の今日のゴールはもうすぐだった。C1を少し過ぎたあたりから、デナリが正面に見えるので僕はそこにテントを張ることに決めていた。ガイドツアー隊は、今日の内にランディングポイントまで行き朝の飛行機でタルキートナに帰るのだろう。ランディングポイントの雑踏の中で待ち時間を過ごすよりもここでのんびり過ごした方が僕には得策だった。
僕は、デナリのよく見える見晴らしのいい場所を見つけテントを立てた。外で、水を沸かしているとガイドツアー隊が何隊も前を通過していく。明日はゆっくり目のスタートにした方がいい飛行機の待ち時間が少なくていいかも知れないと思いながらテントに入り、モチ入りラーメンで空腹を満たしてシュラフにもぐり込んだ。昨日までのハイキャンプとは大違いで、ここではシュラフの中は暑すぎるくらいだった。時間は、すでに3時半だった。

8時頃目が覚めたが、疲れのためか体が動かない。今日は、L.Pまで行って飛行機に乗れればいいので、二度寝した。9時頃、テントの中が暑くなり、にもう一度目を覚ました。テントから顔を出すと雲一つない快晴だ。正面に、デナリの山頂が見えている。山頂付近は、風もなさそうだ。出来ることなら、こんな日にあそこに立ちたかったと思った。
のんびりと、食事を摂り、写真を撮って最後のキャンプサイトを名残惜しんでいる内に出発時間は12:30になってしまった。C1から先は、ヒドンクレバス帯なので、ここから先はスキーを履いて歩くことにした。天気は最高によかったが、暑さと、疲労と、ソリの重さでなかなか進まない。雪の状態も登りの時に比べ悪くなっている。登るときには全く気づかなかったクレバスが、時折30CMほどの口を開いていた。この時間にここを歩く人はほとんどいない。今朝、食事の準備をしているときに、数人歩いている人を見たが、今は完全に一人旅だ。
カルヒトナ氷河上を、黙々と下っていると下の方から氷河に沿って上がってきた飛行機が90度曲がって滑走路のあるフォーク(氷河の支流)に入って行ったり、出て来た飛行機が氷河上を下っていく姿がよく見える。「ああ、早くあれに乗りたい。」と思いながら汗だくになって歩いたが、一向に近づかない。
ようやく滑走路のあるフォークにたどり着いたときは、既に4時を過ぎていた。これから約1kmほど滑走路に向かって登り返さなくてはならない。疲労のたまった体にはそれがまたきつい。気のせいか、上空を行き交っていた飛行機の数が減ったような気がする。登りはじめてから、一機が飛び立って行って行くのを見ただけだ。遠くに、滑走路の周りのテントサイトが見えてきたが、ほとんど人気がなく不安になってきた。ここまで来て、今日中に飛べなかったらどうしよう。タルキートナエアタクシーのバンクハウス浴びるシャワーを楽しみに歩いてきたのに、不安になってきた。忙しい日は7時頃まで飛んでいるという話を聞いたが、定期便じゃないし人がいなければ飛んでるはずがない。
やっとの思いで、ランディングポイントにたどり着いた時は、5時を過ぎていた。テントはたくさんあるが、人はほとんどない。滑走路の脇に数人の人がいたので、タルキートナエアタクシーのスタッフはどこにいるのか聞いてみた。すると、一つのテントを指さすので、そのテントに向かって声をかけてみた。中から、一人の女性が出てきた。「タルキートナに帰りたいんだけど。」、と言うと。「会社はどこ?」と聞かれた。どうやら、この女性が各会社の連絡係を引き受けているようだ。その女性は、しばらく無線で話した後、「後、5分で飛行機が来るから、すぐに準備しなさい。」と、僕に告げた。今日の最後の飛行機だ。僕は、慌ててソリから荷物を外し、ここにデポしていったものを回収した。そうこうしている内に、ここに駐留しているレインジャーらしき人が現れて、燃料の残りを回収したり、トイレ缶の袋をくれたりした。また、どこからともなく現れた登山者らしき人が、食料が残っていたら置いていってくれと、ねだりに来た。僕は、ありったけの食料を渡してやった。既に、飛行機は着陸して、滑走路にいた人たちが荷物を積み始めている。ここまで来て、置いて行かれることはないだろうが、僕はかなり焦った。もてるだけの自分の荷物を持って、走って行くと、積み込みを終えた同乗者達が僕の荷物を運ぶのを手伝ってくれた。「サンキュー」、「サンキュー」と言いながら慌ただしく荷物を飛行機に乗り込み、やっと帰れるとほっとした瞬間、セスナ会社の受付の女性が僕のスキーを持って走ってきた。慌てて、彼女のテントの前に置いてきてしまったのだ。また、「サンキュー」、「サンキュー」といって、スキーを受け取り、再び飛行機に乗り込んだ。
かなりどたばたしたが、なんとか帰れるようだ。飛行機は、雪の上の滑走路を走り、静かに離陸した。離陸するとすぐにカルヒトナ氷河上に出て、90度に右に曲がり氷河を下って行く。今朝から何度も見たコース取りだ。振り向くと、氷河上に何人もの人が歩いた一本のトレース後が氷河の上流に伸びていた。 来るときは逆に、真っ白の世界から、白と黒の世界に、そして茶色、新緑、そして濃い緑色にと40分間の素晴らしい遊覧飛行だった。

飛行機は、滑走路についた。同乗の人たちには、先の飛行機で戻っていたいた人たちか、親しそうな仲間達に迎えられ荷物とともにあっという間にいなくなってしまった。飛行機の脇に残された僕は、近くにあったリアカーに僕の荷物積み込んでいると、一人のおじさんが現れ、これからどうしたいか聞くので、僕はバンクハウスでシャワーを浴びたいと言った。
タルキートナエアタクシーに預けてあった荷物を受け取り、車に乗り込むと先ずはおじさんから登頂おめでとうの握手があった。その後、まっすぐバンクハウスに連れて行って貰い、シャワーの使い方を教えて貰った。バンクハウスには、地元アラスカの登山者が一人いるだけだった。僕は、おじさんに礼をいい、荷物から石けん、シャンプー、タオルにカミソリを取り出しシャワー室に飛び込んだ。鏡に映る自分の顔はひどかった。12日ぶりに見た自分の顔だ。真っ黒に日焼けし、頬がこけ、髭は伸び放題で、髪の毛はバリバリでホコリにまみれており、唇の皮膚はボロボロになっていた。蛇口をひねり、頭から暖かいお湯を浴びた。至高の時だ。床を流れる水は、真っ黒になっていた。
シャワーを浴び、髭も剃り、服も洗濯したものに着替えた。さっぱりして、体が軽くなったような気がした。先ずは、休暇を取得したときの約束となっていたので、職場の上司に無事下山したことを衛星携帯で一方を入れた。その後、家族と友達にも連絡を入れた。みんな、かなり心配していてくれたようだ。感謝、感謝である。その後、下山したら必ずレインジャー事務所に来るように言われていたので、返さなければならないトイレ缶を持って、ブラブラと歩いて行った。事務所に着き、ドアを開けようとしたが、ドアには鍵がかかっていた。中に警備員らしき人がいたので、ドアをたたいて合図すると、出てきてくれた。事務所はもう終わったので、明日来てくれと言う。考えてみると、外は昼間のように明るいが、時間は既に8時を過ぎていた。トイレ缶は、表のかごに入れていっていいというので助かった。内心、こんなものを持って、レストランには行けな〜と、心配していたのだ。
さて、後は祝杯をあげるだけだ。僕はメインストリートに出て、登山前のセスナに乗る直前にランチを食べた小綺麗なレストランに向かった。レインジャーハウスからは遠いが、出発前にもし登頂出来たらここで祝杯をあげようと心に決めていたのだ。
そのレストランは混んでいたが、幸い、奥の静かな席が空いていた。僕は、スープにギリシャ風サラダ(タップリの野菜にチーズを使ったドレッシングがかかったもの)、ベイクドキングサーモン、それにビール一本と、ワインをボトルで一本頼んだ。ウエイターは、前と同じ愛想のいい青年だ。山に登っていたことは顔を一目見ればわかり、登頂したと言うと一緒に喜んでくれた。その青年は、時々、来ては話しかけてくれたので、一人だったが楽しく食事が出来た。あまりに、気持ちよく飲めたので、一人でボトル一本のワインを飲みほしてしまった。グラスワインを追加しようどうかと迷っていると、隣の席にいた人がお祝いだと行ってボトルに残ったワインを分けてくれた。僕は、ありがたく頂き、最後にはデザートのケーキとコーヒも頼み、至高の一時を過ごしてバンクハウスに戻った。
バンクハウスでは、一階で7,8人の登山者達がたむろして談笑していた。中には、日本人も含まれているようだったが、僕は既に気持ちよく酔っぱらって、ふらふらになっていたので、挨拶もせずまっすぐ二階に上がり自分のシュラフにもぐり込んだ。
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