メンドーサへ

 1月1日、9時過ぎにホテルのベッドで目が覚めた。昨夜は、記憶がなくなるまで飲んだ割には気持ちいい目覚めだ。僕は、これから帰国するまでの間どうやって南米で過ごすかを決めるため、近くの旅行会社に行ってみる事にした。
 身支度を整え表に出てみたが、やはりアルゼンチンでも元日は祭日らしく、ほとんどの店がしまっていた。ホテルの人に聞いてみると、休みなのは今日一日だけで、明日からは平常に戻るらしい。仕方なく、今日は旅行会社の場所を確認するだけにして、僕ものんびり一日を過ごす事にした。
 1月2日、少し早い時間に目が覚めてしまった。部屋でじっとしているのも嫌だったので、僕は外に出てみる事にした。街中は、通勤時間前の雰囲気だ。僕は、街が動き出すまで、ホテルの近くにあるオープンカフェでのんびりと時間を潰すことにした。昨日一日のんびり過ごしたせいか、疲れもすっかり抜けている。
 通勤時間帯が終わり、街中が少し落ち着いた頃を見計らい、昨日目を付けておいた旅行会社に行った。語学力に自信のない僕は、カウンターで帰国の日と、行きたいところとしてイースター島とパタゴニアをあげ、後は適当に考えてくれと無理なお願いをした。カウンターの女性は、親切にいろんな案を出してくれたが、空席状況を確認するとチケットが取れなかったりとか、なかなか決まらなかった。結局、2時間以上の格闘の末、翌日チリのサンチャゴに向かい一泊した後にイースター島に行き、サンチャゴに戻ってからチリパタゴニアのプンタ・アーレナスにいくことにした。 交渉の後、ブラブラとアルゼンチンでのお土産を買いながら、メンドーサの街をぶらぶらと歩き回ってからホテルに戻った。
 その夜の夕食は、地球の歩き方に出ていた食べ放題の店に行った。いろんな肉やソーセージのグリルや野菜、デザートが食べ放題で、飲み物だけが別会計と言う店だ。席を決め、食べ物を物色していると、偶然にも同じ日にアコンカグアに登頂した、春日井隊の人たちと出会った。僕は、彼らに同席させてもうことにし、また、楽しいひとときを過ごす事が出来た。
 1月3日、昼前の便でサンチャゴに向かった。メンドーサの空港で搭乗手続きを使用としたところ、前に並んでる人の荷物がサランラップのようなものでぐるぐる巻になっているのに気づいた。どうやら、南米特有の荷物の安全対策らしい。後ろを向くと、荷物をぐるぐる巻きにする機械があり、数人が並んでいた。お金はかかるが、そうしてもらう事により保険がかかる仕組みになっているらしい。まだ時間があったので、話の種に僕の荷物もぐるぐる巻にしてもらった。
 サンチャゴに着くと、すぐにタクシーに乗り込み、飛行機の中で「地球の歩き方」を見て目星を付けていた安ホテルに直行してもらった。行ってみると、安ホテルとは言え、石造りで天井がものすごく高い、立派な建物だった。10ドルで泊まれると思うと大満足だ。
 チェックインを済ませてから、すぐに出かけてみた。ホテルのすぐ近くにあるサンフランシスコ教会の前を通ってサンタルシアの丘に行ってみた。迷路のように複雑な道を登り、丘の上に出るとサンチャゴの街を一望する事が出来た。ただ、ここはサンチャゴの格好のデートスポットになっているらしくどっちを見てもカップルだらけだ。しかも、平日の昼間だというのにかなり濃厚にいちゃついている。目のやり場に困るくらいどっちを見てもカップルだ。僕は早々に、丘を立ち去る事にした。
 次に、僕はサンチャゴの中央市場に行ってみた。そこのレストランで海の幸が格安で食べれると聞いたからだ。僕はそこで、ピコロコというフジツボの料理と聞いた事のない名前の魚のクリームソースをかけたステーキを頼んだ。すると、店員が僕が日本人だと知り、ある料理を勧めてきた。どうやら生ウニらしい。僕は、迷わず追加注文をした。最初に運ばれてきたピロコロは、お世辞にも美味しいといえるものでは無かった。お皿に、子供の拳くらいのフジツボが5つ入っていたが、僕は二つしか食べる事が出来なかった。
 次に、生ウニが運ばれてきた。思わずニンマリしてしまうくらいの大皿だ。しかも、韓国製だが醤油とわさびが一緒に運ばれてきた。僕は、運んできたウエイターに速攻でライスを追加注文し、ウニ丼にして食べた。魚は、白身でもしかするとタラだったのかも知れない。淡泊な身に濃厚なクリームソースは絶妙だった。日本以外で食べた魚料理で、旨いと感じたのはこの時がはじめてだ。
 お腹一杯になった僕は、サンチャゴの街をブラブラと大聖堂やモネダ宮殿などを見学しながらホテルに戻った。
1月4日、朝、登山用の大きな荷物を預けて宿を出た。タクシーでまっすぐ空港に行き、空港で朝食をとった。サンチャゴからイースター島までの飛行時間は4時間40分。時差が+2時間で、出発が9時40分なので、イースター島には12時20分くらいに着くことになる。結構な長旅だが、早い時間に付けるのがありがたかった。
 飛行機から降りると、そこは南国だった。アコンカグアの冷たい風で痛めつけられた体が癒されそうだ。飛行機から降りる人は、ほぼ全員観光客だ。空港は、観光客と彼らを出迎える島の人たちで賑わっていた。僕は、ここではホテルなどの予約は一切ないので、にぎやかな中でポツンと客引き達に声をかけられるのを待っていた。5分、10分と時間は過ぎたが、異常に日焼けしているせいか、誰も僕には声をかけてくれなかった。仕方ないので、観光案内らしきカウンターに出来た列の最後尾に並んでいると、ようやく一人のおじさんが声をかけてくれた。「宿はあるか。」と聞くので、「ない。」と答えた。場所は、島の中心のハンガロア村のはずれで、朝食が付いて25ドルだと言う。僕は、安いのか高いのかもわからなかったが、ここまで来て宿探しに時間を費やすのはもったいないと思い、即決した。
 空港から宿までは、そのおじさんが車で送ってくれた。おじさんが、その顔はどうしたんだと聞くので、アコンカグアに登ったことを話したが、何かぴんと来ていないようだった。次に、島にはいつまでいるのかと聞くので、明後日の昼の便で帰ると答えると、「オー マイゴッド」と派手に驚かれて、少し照れてしまった。そして、島はどうやって廻るつもりなんだと聞くので、時間がないのでツアーがあればいいんだがと答えると、それだったら一日50ドルでこの車を貸してやるからこれで廻ったらどうだ、と言われた。突然の提案にとまどったが、その方が楽だなと思いその提案を受け入れることにした。ただ、ふと国際免許を持っていないことお思いだし、大丈夫なのかと聞くと、今度は更にひときわ大きな声で「オー マイゴッド」と驚かれてしまった。また、照れてしまった。
 そうこうしている内に、宿に着いた。宿は、割と立派な家の離れで、作りもしっかりしていた。部屋に通されてしばらくすると、おじさんが車のキーと日本語のガイドブックを持ってきてくれた。「これを見て、廻るといいよ。」と手渡された。いったい、さっきの「オー マイゴッド」は何だったんだろうと思いつつも、ありがたく受け取った。車は、スズキの軽自動車だ。ガイドブックを見ると島は一週60kmほどだ。一日半あれば十分見て廻れるだろう。倒されたモアイ
 先ずは、ハンガロア村で昼食を食べた後、モアイのたくさんある島の南側に出てみることにした。バンガロア村から、島の内陸をとおり南側の海岸に出る手前で、イースター島に来てはじめてのモアイ像に出会った。それは、道路の脇にポツンと立っていて、木柵で囲われていた。それほど大きくはないが、はじめの一体だったので、感動的だった。車を止めて、モアイに触ったり、写真を撮ったりした。次に、南海岸に出て海沿いに東に無って走った。途中に、アフ・ハンガテー、アフ・アカハンガ、アフ・ハンガ・テテンガなどの遺跡を見たが、すべてのモアイ像がうつぶせに倒されていた。その他にも、ガイドブックに記されていない遺跡もあったが、そこでもモアイはうつぶせに倒されていた。モアイ倒し戦争と言う、島民同士の争いで倒されたと言うことになっているが、1772年にオランダ人がはじめてこの島に来たときはすべてのモアイ像が立っていて、52年後にキャプテンクックがやってきたときには倒されていたと言うことを考えると、僕には影に西洋人による隠された歴史があるような気がして仕方なかった。どう考えても、島民がものすごいエネルギーを費やして作り続けてきたモアイ像を、島民が自ら争って倒しあうとは、僕にはどうしても思えなかった。
 うつ伏せに倒されたモアイ像群を何カ所か見た後に、左側になだらかな丘が見えてきた。ラノ・ラクラというモアイ像の製造工場だ。舗装された道路から左に曲がり砂利道に入ってすぐのところに駐車場があり、そこに車を止め歩いて丘を登った。その丘には、至る所に作りかけのモアイ像が無数に横たわっていた。顔だけ出来ているものや、後は岩から切り出すだけで完成するもの、既に出来上がっていて運搬するだけのものなど状態は様々だ。まるで、大勢の人がついさっきまでここで作業をしていたかのように感じるところだ。僕は、その丘を時間をかけて登り、当時のモアイ製造にかける情熱のようなもを感じた。
 丘の上からは、たくさんのモアイ像が海岸線に立っているのが見えた。アフ・トンガリキにある、日本のクレーン会社が援助して復元したと言う15体のモアイ像だろう。僕は、丘を下りアフトンガリキに向かうことにした。
 ラノ・ラクラからアフ・トンガリキまでは5分とかからなかった。小さな湾の中に15体の大きなモアイ像が台座の上に立っていた。これだけの数モアイ像が立っているのはここだけだそうだ。しかも、これを立てたのは日本のクレーン会社の援助だそうだ。その時に使ったクレーンは、まだ島にあり現役で活躍しているらしい。(ガイドブック)さすがは、日本人。いろんなところで、貢献してるな〜。少し離れたところには、大阪万博の時に日本にやって来たモアイ像がポツンと立っていた。
 アフ・トンガリキからは、島の北側に出て、テピトクラの不思議な丸い石を見た後にアナケナ海岸に行った。ここは、ビーチでキャンプ場もあり観光客も多少はいた。多少はと言ったのは、既に島を半周くらいは移動しているのに、ほとんど観光客と会っていないからだ。今は、オフシーズンなのだろうか。季節は夏なのだが。ここの海岸には、5体のモアイ像が立っていて、そのうちの4体はプカオという、赤みを帯びた石でできた帽子のようなものをかぶっていた。実はこれは、帽子でなく髪の毛をかたどったものらしい。もともとは、すべてのモアイ像はプカオを頭の上に載せていたらしいが、今立っているモアイでプカオを載せているのは珍しいようだ。それに、ここのモアイは砂に埋まっていたせいでかなり保存状態がよく、背中に書かれた模様やふんどしのようなものもハッキリとわかった。
 アナケナ海岸を歩いているうちに、ちょうど日が沈みかけてきた。地図を見ると、島の内陸にハンガロア村まで帰れる道があるようなのでその道を使ってハンガロア村まで帰ることにした。だいたい30分ほどだ。村に着く頃にはすっかり暗くなっていた。宿に戻ってからは、近くのレストランまでいって夕食をとることにした。バンガロアの教会の前の通りにあるコパカバーナという店だ。メニューを見ると、ここではマグロが捕れるらしく、ツナという文字が目立っていた。さらに見ていくと「SASIMI」というのがあった。これはきっと、刺身のことだろうとおもい迷わずこれをチョイスした。その他には、聞いたことのない魚のソテーと、ご飯のかわりにタロイモを茹でたものを注文した。タロイモを食べるのは今回が初めてだ。飲み物は、ビールにしました。
 最初に、ビールが出てきて、一本目を飲みほした頃に刺身が出てきた。迷わず、ビールのおかわりを貰った。刺身には、ここでも韓国産の醤油とわさびが付いてきた。ごく普通のマグロの赤身で、美味しかった。次に、魚のソテーとタロイモが出てきた。魚は白身で淡泊だ。タロイモは粘りがあり、飲み込むのが大変だった。ビールの助けをたくさん借りてしまい、いい気持ちに酔っぱらってしまった。
 食事を済ませてから、宿に戻りイースター島の初日は終わった。

 
 
 
 
 
  

 


戻る  ホームへ