メンドーサへ

プラザ・デ・ムーラスへの下山

 12月30日、登頂の翌日朝9時頃ヘリコプターの音で目が覚めた。ニド・デ・コンドルの上空を何度も飛んでいたようだった。僕は、もしかすると夜中になっても帰ってこない僕を案じて誰かがレンジャーに連絡したのかも知れないと思ったが、どうすることも出来ぬままもう一度眠りに落ちた。
 しばらくして、春日井隊の二人の声で目が覚めた。ベルリンのテントを撤収して下りてきたようだ。隣の多鹿君との話し声が聞こえてきた。僕のテントの前に置いてあるプラスチックブーツを見て、僕が無事だったことに気づいたようだ。僕も、テントから顔を出し挨拶した。
 ヘリコプターは、ニド・デ・コンドレスに仮設の小屋を建設する資材を運んでる音だった。天気は快晴で、風もあまり吹いてなかった。今日は、プラザ・デ・ムーラスまで下りるだけだ。疲れも残っているので、もう少し眠ってから行動することにした。
 11時頃、ようやく行動を開始した。1日分の水を作り、インスタントラーメンを朝食にした。ニド・デ・コンドレスとの別れを惜しみながら、ゆっくりと撤収作業を進めた。僕が、テントの片づけを始めた頃には、春日井隊の姿はすでになく、多鹿君は、ザックに腰掛け風景をスケッチしていた。撤収作業を完了し、下山を始めたのは12時半頃だったと思う。多鹿君は、まだスケッチを続けていた。
 プラザ・デ・ムーラスへの道のりは、水戸隊の人たちや後から来た多鹿君と抜きつ抜かれつののんびりしたものとなった。見上げると、昨日立つことが出来たアコンカグアの山頂がすぐそこに見える。疲れが抜けるにつれ、昨日あそこに立ったんだという実感が少しずつこみ上げてきた。歩きながら、ここまでやって来るためにしてきたことが思い出された。インターネットでいろんな人の記録を調べたこと、トレーニングと称して挑戦した日本海オロロンライントライアスロン大会、休暇取得のため計画書作成して上司に直訴したこと、飛行機を乗り継いでここまでやって来たこと、そして夕べ出会った物の怪たちのこと。ここまで来るのに本当にいろんなことがあった。
 プラザ・デ・ムーラスに着くと、ホテルレフヒオで出会った御婦人がビデオを片手に下山者をインタビュー責めにしていた。僕のところにも来て、「登頂出来ましたか。」、「アタックはどこからでしたか」、「時間はどれくらいかかりましたか。」、「風はどうでした。」と言った具合に質問攻めにあった。なんだか、テレビの取材を受けたよなくすぐったい気分になってしまった。
 ロスプキオスのテントでは、先に下りていた春日井隊の3人に歓迎された。再び、登頂の喜びを分かち合い、お祝いにビールをご馳走になった。その後、春日井隊のテントの近くに空きスペースがあること教えてもらい、そこにテントを張った。
 夕食は、春日井隊の3人、多鹿君、それに僕の5人で会食となった。ちらし寿司や高野豆腐,昆布巻きなどの日本食が出たのには感動した。これからのことや、これまでのことなどいろんなことを話し、楽しい会食となった。最後は、そばでしめた。ただ、高所で食べるそばには工夫が必要のようだ。温度が上がらず半煮え状態だ。日本にいたらとても食べれたものじゃないだろうけど。でも、プラザ・デ・ムーラスでは、美味しくいただくことが出来た。特に、そばつゆは最高のご馳走だった。春日井隊と
 翌朝は早めに起きてテントの撤収を始めた。来るときは二日かけて来た道を、1日で下ってしまうつもりだった。ムーラに運んでもらう荷物をロス・プキオスにあづけた。そこで、春日井隊と記念写真を撮り挨拶して出発した。ムーラを使っていない多鹿君は少し離れた場所にテントを張っていたので、そこにも行って挨拶をし、プラザ・デ・ム−ラスを後にした。
 帰り道に渡った川の状態で、雪解けが進んでいることがよくわかる。来るときは、難なく渡れた川もかなり水かさが増えていて何処で渡ろうかと立ち往生してしまう。最初は、出来るだけ濡れないように慎重に渡っていたが、3本目くらいからはめんどくさくなり、どうせ今日は下山するだけだしということで膝くらいまで水につかりながら歩くようになった。下から登ってきた人たちには,「クレージー。」などと笑われ、ウケを取ることが出来たが、それも、結局乾燥した空気と太陽の力で、数十分で完全に乾いた。
 最後の川を渡った頃に、下からムーラの集団に混ざって登山者がたくさん上がってきた。ベースキャンプはにぎやかだったが、これからさらににぎやかになるのだろう。コンフレシアを過ぎた頃には、どう見ても登頂登山を目指しているとは思えない人たちも現れ始めた。ハイキング感覚で歩いているようだ。そんな中で、一人の白人男性とすれ違ったときに軽く挨拶すると、その人がにこにこ笑いながら僕の顔をみて「ナイス、ナイス、ナイスフェイス」と連呼して、僕の方に手をかけ握手を求めてきた。その人は、非常に上機嫌だったが僕には訳がわからない。日焼けのためだとは思うが、もう10日以上鏡を見ていないので僕の顔がどうなっているか想像も出来無い。それにしても、いきなり人の顔を見て笑うなんて失礼な奴だった。吊り橋で
 さらに、歩き続けてようやく最初に渡った吊り橋にたどり着いた。振り返るとアコンカグアの姿が一望できる。オルコネスの畔を歩いてようやくレインジャー小屋に到着した。下りとは言え、二日かけて歩いたところを1日で歩いたわけだ。時間は、7時を過ぎており、体は疲れ切っていた。さっそく、レンジャーのところに行き、下山の手続きをした。ゴミの袋は、ムーラに載せた事を証明するサインをもらっていたのでO.Kだ。レインジャーは顔の日焼けがひどいと心配してくれ、登頂した事を話すと祝いの言葉を掛けてくれた。手続きを終えてから、レンジャーに電話でムーラの会社の迎えの車を呼んでもらった。
 小屋の前で、20分ほど待っていると送ってくれたマリオがやってきた。彼は、僕の事を忘れているのか、それともあまりに顔が変わっているせいか、最初僕の事がわからなかったようだ。僕から、話しかけ送って貰った日にちや時間の話をしてようやくわかってもらえたようだ。
 僕らは、まずムーラの会社に向かった。途中、マリオが「今日はこれからどうしたい?」と聞くので、今日中にメンドーサに行く方法がないかと相談してみた。最初、「バスはもう無いので無理だ。会社の前でテントを張ってもいいぞ。」と行っていたが、100ドルくらいなら出してもと言うと、あちこちに電話し始めた。どうなるかわからないまま、会社に着いたが僕の荷物を積んだムーラはまだ着いていないようだった。
 少し待っていると、ムーラの大群がやってきた。その中に、僕の荷物もあった。ホコリまみれになった荷物を受け取ると、マリオが「さあ、行こう。」と言って僕を車に乗せた。メンドーサのホテルを聞かれたので、荷物を預けてきたホテルのカード渡すと、その場で電話して予約を入れてくれた。どうやら、僕をメンドーサまで送りとどけてくれる白タクが見つかったようだ。料金は、100ドルだ。
 小さなおみやげ屋さんで、水と絵はがきを買い、新しい車に乗り換えた。ドライバーは、地元の人で二人連れだ。英語は全くしゃべれないようだ。スペイン語でなにやら話しかけられたが、笑顔だけで返事を済ませると向こうも察したのかそれ以降会話は無くなった。車窓から見える風景は、ほとんど荒涼とした風景だったが、時折、町並みを通る時だけは、緑にあふれていた。メンドーサもそうだったが、こういった土地に住む人たちの緑に対する気持ちが町作りに表れているようだった。
 車は、3〜4時間ほどでメンドーサのホテルに着いた。車に乗っていた二人は僕の荷物をホテルのフロントまで持っていき、手続きをした後、早々に引き上げていった。僕は、「サンキュー」と声をかけるのがやっとだった。
 僕は、早くお風呂に入りたくてたまらなかった。チェックインした時に、預けてあった荷物を部屋に持ってきてくれるように頼み、部屋で待っていた。着替えが、そこに入っているのだ。ところが、何分待っては届かない。フロントに電話してみたが、なにやらどたばたしていて謝られるだけだった。さらに、10分ほど待っていると、やっとボーイが荷物を持ってきてくれたが僕の者では無かった。いい加減頭に来て怒鳴りつけると、倉庫に見に来てくれという事になった。行ってみたが、僕の荷物はそこになかった。いろいろ話を聞いてみると、奥にもう一つ部屋があって、そこの鍵を持っている支配人が不在だと言う事がわかった。もう少しだけ待ってくれと言うので部屋に戻っていらいらしていると、さらに20分ほどしてからさっきのボーイが嬉しそう顔をして僕の荷物を持ってきてくれた。 そのボーイもホッとしていたようだ。僕は、さっき怒鳴ってしまった事を謝り、チップをはずんでひげそりを買ってきてもうことにした。
 ボーイがひげそりもって帰ってきたので、僕はようやく風呂にはいる事が出来るとバスルームに飛び込んだ。ところが、その瞬間、僕は思わず、「どひゃー。」、と叫んでしまった。顔があまりにひどかったのだ。顔中がひどく日焼けしており、口周りは脱水でしわくちゃになり皮がむけている、髪の毛はばりばりで砂まみれだ。髭も汚く伸び、かなりほおがこけて、目が疲れで充血している。ハッキリ言って、自分の顔だと認めたくなかった。こんな顔で、下山してからいろんな人と接してきたのか恥ずかしくなる。ムーラ会社のマリオ、土産屋のおばさん、白タクの二人組、ホテルのスタッフ達の顔を思い出した。下山中に出会った、僕の顔を見るなり笑った謎の外人の気持ちもよく解った。僕は、記念に自分の顔写真をとり12日ぶりのシャワーを楽しんだ。バスルームの床を流れる水はしばらく真っ黒だった。体中の、バリバリ、ネバネバを取り除くのにたくさんのシャンプーと石けんが必要だった。僕は、じっくり時間をかけて、丁寧に体をあらい髭を剃った。本当に気持ちよかった。
 シャワーを終え、さっぱりすると登山での緊張感が緩んだのか、急に空腹感が増してきた。考えてみたら日中に行動食としてスニッカーズを一本食べて以来何も食べていない。もう既に、11時をまわっている。お腹が空いていてあたりまえだ。行動食は残っていたが、ここまで来てそれはないだろうと思い、フロントに降りて、近くに何か食べれるところはないかと尋ねてみた。すると、それならと言う事でレストランに電話で予約を入れてくれた。そこは、少し離れたところにあるらしく、続けてタクシー会社に電話をしてくれた。ところが、そのタクシーが見つからないようだ。何件かに、連絡してくれたようだが結局見つける事は出来なかったようだ。歩いていくと、20分くらいかかるという。僕はこれ以上考えたくなかったので、地図をもらい歩いていく事にした。それぞれの通りに名前をの書かれた標識が付いているので迷う事はない。そう考えて、地図を片手に外に出た。11時とは言え、人通りはほとんど無い。メンドーサは、70万以上の人口を持つそれなりの大都市なのに、夜はこんなものなんだろうか、と思いながら暗い道を歩き続けた。時折、「パン、パン、パン」というものすごい音を鳴らしながら走っていく車があった。なんの音かはわからない。もしかすると、銃声だったのかも知れない。とにかく僕は、空腹を満たさなければとそのレストランに急いだ。 レストランの中は満席ですごい賑わいだ。外の静けさとは対照的だった。ホテルで予約をしてもらっていたため、僕のための一人用のテーブルだけが空席になっていた。僕が席に着くと店員が、「ホテルからです」と一本の赤ワインを差し出した。なんという待遇だろう。こんなことは、はじめてだ。あまりに、激しく起こりすぎたからだろうか。料理は、コースになっていて、前菜からデザートまでの4品をそれぞれ2品から選択して行くシステムになっていた。僕は、適当に料理を選び、ワインはとりあえずテーブルに置いておいてもらいビールを頂いた。料理は、ホテルが薦めるだけあってとても美味しいものだった。  
 最初の料理が運ばれてきてからしばらくすると、店の店員が満席の店内で何かを話し始めた。食事をしている人たちは、手を休めて店員に注目している。僕は、何を言ってるのかさっぱりわからないので一人むしゃむしゃと料理をむさぼっていた。店員が、最後に何か合図のような大声を放つと、テーブルに座っていた人たちが一斉に拍手しながら立ちあがって、お互いにチュッ、チュッとキスし始めた。何かを祝っているようだったが、僕は何が始まったのかさっぱりわからなかった。何かの祝賀会に紛れ込んでしまったのだろうかと思った、どちらにしても僕には関係無い事だと思い、僕は座ったまま料理を食べ続けていた。すると、数人の男女が僕の席に来て握手を求めてきた。僕は、何がなんだかわからないまま席を立ち笑顔で握手に答えたが、内心困った事になってしまった思っていた。その数人に続いて、次から次へと僕に握手を求める人がやってきたのだ。中には、僕のボロボロになった顔を見て察したのか、アコンカグアに登頂した事を祝ってくれる人もいた。そんな状態がしばらく続いたが、5分ほどでみんな席に戻り、店内に落ち着きが戻ってきた。僕も席に戻り食事を再開した。いったい何だったんだろうと考えながら、ふと自分の腕時計を見た瞬間、すべてが分かった。時計は、午前0時7分をさしていた。日付は、1月1日。そう、今のは新年を迎えたお祝いだったのだ。次の瞬間、ホテルではスタッフが少無かった事や、タクシーがつかまらなかったこと、町中の静けさ、すべてに納得がいった。
 僕は、ホテルが用意してくれたワインを開けてもらい、7分遅れで新年を祝った。その日は、疲労と緊張からの解放のためかすぐに酔いが回り、ワインがとても美味しかった。食事が終わる頃には、ワインボトルは空になっていた。その後は、とうとう緊張の糸が切れてしまい、記憶がなくなってしまった。どうやってホテルにたどり着く事が出来たのか全く覚えてい無い。覚えているのは、ホテルにたどり着いたときに、支配人から「レストランはどうでした?」と聞かれて、「ベリー グッド」と親指を立てて応えた事だけだ。
 こうして、僕のアコンカグア遠征は無事終わった。後は、残った期間で出来るだけ南米を楽しむだけだ。
 

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