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12月28日、朝8時頃目が覚めた。体調は完全に回復していた。体中にエネルギーがみなぎっているような気がする。改めて酸素のありがたさを実感。外は、以前風が強い。今日は、ニド・デ・コンドルに戻り、明日早朝にアタック開始の予定だ。と言うわけで、出発は9時以降の気温が上がってからにすることとし、ゆっくりと朝食を頂くことにした。食堂では、体調不良でプラザ・デ・ムーラスのテントから避難してきている年配の日本からこられている御婦人と同席した。すごく小柄な方だったが、これまでに何度も海外登山を経験されていると言うことでキリマンジャロのことや、前回見登頂に終わったアコンカグアのことなどいろんなお話を聞かせていただいた。
おなかいっぱい朝食を頂き、ホテルレフヒオを後にしたのは10時を過ぎていた。風も収まり、気温も少し歩くと汗をかくほどにあがっていた。再び、ロスプキオスにたちより水をもらった。お姉さんにアタック計画を話すと、「幸運を祈ってますよ。」と励ましながら見送ってくれた。
この道を上るのはこれで3回目だが、これまでで一番体が軽く感じた。ほとんど息を上げることなく歩けた。自然に歩く速度が速くなってしまうのを、自制心を効かせ体力温存のためゆっくりと歩くことに徹した。
快調に歩いていると、水戸隊の女性が一人で下ってきた。明日登頂する予定だと言っていたのにどうしたのかと効くと、SpO2値が25%と以上に下がっていたので登頂はあきらめて下山してきたと言うことだった。どうやら、水戸隊は自前のパルスオキシメータを持参しているらしい。プラザ・デ・ムーラスのレンジャーテントでは、申し出ると簡単にはかってくれると言うことだったが、僕は全く気にしていなかった。自分の体調は、自分で判断するという方針でこれまで来たが少し無理をし過ぎている部分もあるのではと少し反省した。
ニド・デ・コンドルには4時頃到着した。自分のテントが無事だったことに安心したが、8本のロープのうち1本が切れており、残りのロープもかなりゆるんでおり夕べの風の強さを物語っていた。隣の多鹿君のテントの前にアイゼンが出ていた。もしかしたらと思い聞いてみると、今朝アタックをかけたがインディペンデンシア小屋までいったが、強風のため引き返してきたといことで、明日もう一度アタックするらしい。今朝は、5時発だったが7時過ぎでも十分だろうと言うことであった。僕は、足に自信がないので5時発にすることにした。明るくなるのは、6時頃なので1時間くらいはヘッドラン行動するつもりだ。もう一組の春日井隊は、ベルリンに移ったのか誰もいないようだ。
その後、テントのロープを張り直し、日課の水作り作業を済ませた後、明日に備えて早めの夕食をとった。早く寝ようとしたが、なかなか眠れない。10時頃にトイレに立った時に見た夕日が印象的だった。日が沈んだ頃また風が激しくなってきた。アコンカグア登山の最大の敵が風であると言われているのがうなずける。風の音と寒さで、さらに眠れなくなってしまった。
12月29日、アタックの日。ほとんど眠れないまま、朝4時に目覚めた。相変わらず風が強い。この風の中を出発するのかどうか迷いながら朝食の準備を進めた。これまでの経験から、ここの風はいくら強くても1日中吹き続いていることはない。きっと、そのうち止むだろうと確信し、予定どおり5時にテントを出た。強風の中斜面を見上げると、遙か前方に一組のパーティーのヘッドランの光が動いているのが見えた。その光に勇気づけられ歩き始めた。
10分ほど歩いたが、ベルリンへの登り口がなかなか見つからない。ヘッドランプが暗いのと雪渓を超えていくのだが、その雪渓にはたくさんの踏み後があるからだ。途方に暮れさまよっていると強風でコンタクトが飛んでしまった。予備のコンタクトは持っているがこの風の中では装着するのは不可能だ。あえなく、第一回目のアタックは失敗に終わった。テントにいったん引き返し、明るくなってからもう一度出発することにした。
6時頃ようやく明るくなり再出発した。今度は、すぐに登山道を発見することが出来た。ただし、風は相変わらずだ。快調に、歩くことが出来8時前にはベルリンを通過した。ベルリンを過ぎたところで水戸隊のもう一人の女性が下ってきた。登頂しようとしたが途中で体調が悪くなり諦めて下ってきたということだった。ここまで着たのにお気の毒である。さらに足を進めて8時半頃稜線に出た。ここから先は未知の世界だ。標高もすでに6,000mを超えている。正面に登ってきた太陽がまぶしかったが道ははっきりしていて迷うことはない。さらに歩いていると、前方から二人の白人女性が下ってきた。声をかけると、「ウインディー。」と泣きながらつぶやいていた。今日がラストチャンスだったのだろか、お気の毒である。それにしても、上の方はそんなに風が強いのだろうか。
自分は日程には余裕があり、今日がだめでも再挑戦は可能である。それでも、行けるところまでは言ってみようと先に進んだ。登山道が大きな黒い岩を回り込んでいるところを過ぎると風がまともに吹き付けていた。確かに、ものすごい風だ。そこが、登頂への第一関門となっていた。僕がそこにたどり着いたときも二人の白人男性が行こうか戻ろうか悩んでいた。僕の目の前で5m位進んでは戻り、進んでは戻りを繰り返して結局一人は先に進み、一人は下って行った。僕は、そこでその日初めての休憩をとろうとしたとき重大なことに気づいた。ポリタンのふたが凍り付いて開かなかったのだ。この先、水無で歩き続けれる訳がない。今日は、あきらめるか。随分悩んだ末、この先には雪渓がいくらでもあるじゃないかと考え、雪渓の雪を頼りに先に進むことにした。
それから一登りして、10時過ぎにインディペンデンシア小屋にたどり着いた。そこでも、10人くらいの人たちが行くべきか戻るべきかと思案しているようだったが、そこでは僕に迷いはなかった。さっさとアイゼンを装着し、小屋の前の斜面にとりついた。そこを登ると、大トラバースだ。その斜面を登り切ったところから風がまともに体に当たる。その風に逆らっての大トラバースとなる。前方に何人か歩いているのが見える。「よし、行こう。」と気合いを入れ直す。そのタラバースは踏み固められた歩きやすい道だった。トラバースの丁度中央くらいに一カ所だけ岩があり風をしのぐことが出来る。そこで、一端休憩し先に進むだ。トラバースの最後の方で、道は雪上になり、そのあたりから大クロアールに入る。そこからが、僕にとっての地獄の苦しみの始まりだった。雪の上は歩きやすいが、雪からはずれるとザレ場でなかなか進まない。雪の上を選びながら、一歩歩くごとに雪をほおばって進んだ。かなり苦しい。アイゼンの調子が悪く何度もはずれた。大クロアールを3分の1ほどあがったところに猫の額のような平場があり何人かが休憩していた。水戸隊の人もいた。僕もそこで大休憩をとることにした。30分以上は休んだと思う。そこから頂上は目の前に見えており、すでに登頂を果たした人たちの姿がよく見える。春日井隊の人もいるようだ。僕は休んでいる間、延々と雪を食べ続けた。高度障害もきついが、脱水もきつい。本当にあそこまで行けるんだろうかという考えが頭をよぎる。気がつくと、風が収まっていた。
意を決して再び歩き始めた。時間は、すでに3時をすぎていた。この時期、10時過ぎまで明るいと言ってもこれ以上の大休憩は許されない。ただ、歩くのみだ。そのころになると、下山者も多くなってきた。苦しそうに歩いてる僕を見て、巻いていった方が楽だよとアドバイスしてくれる人がいた。集中力がなく思考力が低下している僕は言われるがままに巻いていくことにした。ようやく尾根にたどり着きそうになったとき、少し下の方に隣のテントの多鹿君が現れた。手で合図送る。彼は、尾根の一番低いところに向かってまっすぐ登るつもりのようだ。力強い足取りが羨ましかった。
ようやく尾根上に出た。すぐ目の前に見える頂上に向かって歩き始めた。多鹿君は、すでに尾根に出て前の方を歩いている。しばらく歩いていると春日井隊の二人が下山してきた。永田さんは、「ここまで来たら、ザックを置いて空身で行けば。」とアドバイスしてくれ、「帰りにベルリンのテントに寄ってくようにと言ってくれた。」。僕は、そうかと思い迷わずザックをそこに置いて歩き始めた。頂上はもう目と鼻の先だ。
頂上まで後、100mは切った位の時にアイゼンがまたはずれてしまった。その場でスティックを置き、アイゼンを装着し直そうとしてしゃがみ込んだ瞬間、足下が滑り、体が一瞬無重力状態になった。バンザイをした状態で、3,4m位は滑ったと思う。なんとか、それくらいで体は静止したが、体のどこが地面に引っかかって止まっているのか解らない。少しでも体を動かすとまた滑り出しそうな状態だ。冷や冷やしながら、少しずつゆっくりと体を動かし、ようやく右足を地面にしっかり固定することが出来き、何とか元の場所まで這い上がることが出来た。幸いにして、スティック、アイゼンなど何も失ったものは無かった。

落ち着きを取り戻して、もう一度頂上に向けて歩き始めた。多鹿君はすでに頂上にいるようだった。僕の後ろには誰も見えない。最後の、一踏ん張りでようやく頂上にたどり着いた。時刻は5時過ぎだ。頂上は広々としていて真ん中に小さな十字架が一つ立っていた。そこでは多鹿君が一人でスケッチをしていた。やったーという感情はなかった。こみ上げてくるはずの感動が、高度障害と脱水症状による疲労感に完全に押さえ込まれていた。とりあえず座り込むのがやっただった。天気は快晴だ。360度見渡すことが出来た。空がやたらと青いのが印象的だ。何もする気が起こらない。ぼーっと座っていると、多鹿君が「写真とりましょうか」と声をかけてくれた。もし、多鹿君がいなかったら頂上で写真を撮ることもしなかったかもしれない。お互いに写真を取り合い、10分か20分くらい山頂に滞在し、彼が
先に下山を始め僕も追いかけるように下山を開始した。
下山を初めてすぐに、これから登頂しようとする人とすれ違った。僕が、その日の最後の最後の登頂だと思っていたがまだ一人いたようだ。僕以上に足取りがふらついていたようなので、「大丈夫ですか。」と一声だけかけたが、人の心配をする余裕は全くなかった。前を行く多鹿君も相当足に生きているらしく何度も尻餅を着きながら歩いていたが、歩く速度は僕よりもずっと速くあっという間に大差が着いてしまった。大トラーバースが終わる頃にはとうとう見なくなってしまった。インディペンデンシア小屋まで来て、アイゼンをはずし出来るだけたくさんの雪を食べた。それ以降は、しばらく雪渓が無くなるからだ。
少し落ち着いてまた歩き始めたが、歩く速度は全く上がらない。登っているときよりも時間が掛かっている。このままでは、明るい間にテントまでたどり着けないかもしれない。7時を過ぎ、少しずつ日が陰り始めたがベルンさえまだまだ先だ。とりあえずベルリンまで行けば、春日井隊に助けを求めることが出来る。でも、出来ることなら助け無しで何とか切り抜けたい。そんなことを考えながら歩き続けた。前にも、後ろにも人が見えない時間が長く続いた。途中、GPSで何度か方向を確認しなければならなかった。そんな状態で歩き続けて、日が沈む10時頃ようやくベルリンにたどり着くことが出来た。
日は完全に沈んだが、まだ1時間くらいは歩けそうだった。ここから先は、三度歩いた道だ。ふつうの状態なら1時間少々で下りることが出来るだろう。今の状態でも、ルートさえ見失わなければ、二時間少々で下りることが出来るだろうと思った。春日井隊のテントに挨拶くらいはしたがったが、寄ってしまうと二度と足が動かなくなってしまうのではないかと思い。少しでも明かりのある時間帯に行けるだけ行ってしまおうと思った。後は、GPSと暗いヘッドランプを頼りに何とかなるだろうと考え、ベルリンでは立ち止まることもなく通過することにした。
ベルリンを通過して30分後、心の底から後悔することとなった。日が完全に沈んでしまった上に、ルートを見失ってしまった。GPSでニド・デ・コンドルの方向は解っていたが、何度も崖っぷちにぶち当たって進路を妨げられた。ベルリンとニド・デ・コンドルの間の大きな斜面を行ったり来たりしている間に、時間と体力を大きく浪費してしまった。そのころになると、頭の中もおかしくなってしまったらしく物の怪のようなものも目に見えるようになった。最初は、ビニール袋のようなものが風に舞っているのかと思っていたが、そうではなく白いふわふわしたものが僕の周りを漂っていたのだ。黒い陰のようなものも居た。岩のようなものも居た。そうかと思うと、一反木綿のようなものも中を舞い始めた。そのころになると、体力的にも限界が近づいていたのでどこかの岩陰でビバークすることも考え始めていた
。
12時を過ぎた頃、「もうだめだ、これ以上歩けない。」と心の中で叫び、とうとう座り込んでしまった。しばらく、ボーっとしていると目の前に白いものがあるのに気づいた。雪だ。思わず手を伸ばしむさぼり食った。1kg、いや2kg以上食べたかもしれない。時間をかけてゆっくりと食べた。もう食べれないと思うほど食べた頃には、何となく意識もはっきりし、体力も少し回復していた。もう一度、GPSを取り出し周囲の地形を確認した。ニド・デ・コンドルの方向と距離、ベルリンの方向と距離、今いる自分の周りに地形。冷静に考えると、今いる斜面をまっすぐ下りていけば登山道に必ず出るに違いないと言う結論に達した。ザレ場の急斜面で歩きにくかったが、尻で滑るようにしながらゆっくりと下りることにした。5分ほど下りたところで、やっと道に出た。助かった、と思った。後はとにかく体力の続く限り歩き続けるだけだ。
しばらく歩いていると、また物の怪たちがやってきた。今度の奴らは僕に話しかけてくる。「お兄さん、どこへ行くんだい。」。僕は、「テントに帰るんだよ。」と答える。すると、物の怪は「テントは、そっちじゃないよ。ここで休んでいきな。」と言う。僕は、心の中で「何言ってやがる」とつぶやき、無視して歩き続けた。すると、別の物の怪がまた話しかけてきた。今度の物の怪は、椅子に掛けていてテーブルで上で暖かそうなお茶を入れていた。「そこの人、お茶でも飲んでいきなされ。」と、僕を誘った。体が冷え切っていて、脱水状態の続いていた僕にとっては、そのお茶は幻覚だと解っていても本当に魅力的だった。一瞬立ち止まってしまったほどだ。僕は、「せっかくだけど、先を急いでるので今日は遠慮しとくよ。」と言って先を急いだ。幻覚だと解っている物の怪に、まじめに声を出して答えている自分が何となくおかしかった。そんなことをしている間に、だんだんと僕の周りの物の怪たちが増えていった。いつしか、僕を取り囲むように物の怪たちが歩いていた。僕は、もしかするとすでにこいつらの仲間になってしまってるんじゃないだろうかと思い始めていた。
自分の存在に疑問を感じながら、物の怪たちといろんなことを話しながら歩きつづけた。日本の話や、家族の話もした。随分、多弁になっていたような気がする。話に、夢中になって歩いていると、突然目の前にテントが現れた。そうだ、知らぬ間にニド・デ・コンドルに着いていたのだ。大きな広場をまっすぐ突っ切れば僕のテントがあるはずだ。心なしか、物の怪たちがすこしざわめき始めたような気がする。「そっちじゃないぞ。」、「どこに行くんだ。」と物の怪たちが好き勝手なことを言っている。僕は、「おまえらには、騙されないぞ。」と言って、自分のテントの方向にまっすぐ歩いた。ニド・デ・コンドルの入り口左側にある大きな岩が目印になった。広場を突っ切ったところに一つのテントがあった。何となく自分のテントのような気がしたが、どういう訳か自分のテントだという確信が持てなかった。不思議な感覚だった。物の怪たちは、まだ僕の周りでざわついている。僕は、そのテントをじっと見つめていた。テントに何か書いてある。読もうとするが、僕の脳がそれを文字だと認識しない。それは、暗いからだとか言うのではなく、視覚的にははっきりとらえているが読めないのだ。その文字を見つめているうちに、脳が少しずつ蘇ってきた。「エ、エ、エス、エスパース。」。紛れもなく、自分のテントだ。その瞬間、僕の周りでざわついていた物の怪たちがさっと居なくなり、静けさが戻ってきた。そのとき、初めて僕は生きてテントに戻ってきたことを確信した。
自分のテントだと解った以上、僕は大急ぎでテントの潜り込んだ。時刻は、1時半位だったと思う。テントの中には、作って置いた1.5リットルの水が凍らずにあった。その水を、僕は一気に飲み干してしまった。次に、冷え切った体を温めるためにコンロに火をつけた。30分ほど暖まっていると、凍っていたポリタンのの水も飲めるようになった。その水も、飲み干した。ようやく落ち着いて、靴を脱ぎコンロを消してシュラフに潜り込んだ。ヘッドランプを消し、目を閉じた瞬間眠りに落ちていた。